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       題しらず 読人知らず  
975   
   今さらに  問ふべき人も  思ほえず  八重むぐらして  門させりてへ
          
     
  • 八重むぐら ・・・ 幾重にも生い茂っているつる草
  • てへ ・・・ 「てふ」(=と言う)の命令形
  
今更、訪ねてくる人があるとも思えません、(帰ったら)八重むぐらが生えて門が固く閉ざされていると言ってください、という歌。 「門さす」というのは門を閉ざすということ。詞書がないのでわかりづらいが、最後の命令形から恋に破れた人がそれを見舞った第三者に対して言っている歌のように見える。

  賀茂真淵「古今和歌集打聴」が 「
此歌は前の歌どもの題しらずと有をうけて上の歌とは別也」とわざわざ言っているのは、一つ前の 974番の歌とこの歌の内容についてではなく、この歌に 「題しらず」という詞書がついていなかったことを指している。つまり、題や作者名がない場合はその前の歌と同じという古今和歌集の一般的なルールを適用すると、この一つ前の詞書は 「返し」なので、この歌の詞書も 「返し」になることになるが、実際はそうではなく 「返し」の前の 973番の歌の詞書である 「題しらず」を引き継ぐのだ、ということである。

  「八重」という言葉は、380番の「白雲の 八重にかさなる をちにても」という貫之の歌や 902番の「白雪の 八重降りしける かへる山」という在原棟梁の歌で使われており、「門をさす」という言葉は、895番の「老いらくの 来むと知りせば 門さして」という読人知らずの歌や 964番の「うき世には
 門させりとも 見えなくに」という平貞文の歌でも使われている。 「思ほゆ」という言葉を使った歌の一覧は 33番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/11 )   
(改 2004/03/16 )   
 
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