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春の野の生い茂った草のように、しきりにあなたを求めて、飛び立つ雉のように、私は「ほろろ」と泣いています、という歌。
平貞文は922年従五位上、923年没、五十二歳。 「貞文」は 「定文」とも書かれる。 「左兵衛佐定文歌合」(「新編 国歌大観 第五巻」 (1987 角川書店 ISBN 4-04-020152-3 C3592) )は四十首ほどの歌合であり、その成立の背景は不明だが、そこに集められているのは古今和歌集の撰者三人を含む以下のメンバーである。貞文の彼らと交流がうかがわれる。
- 左 ・・・ 壬生忠岑 在原元方 平定文
- 右 ・・・ 坂上是則 紀貫之 凡河内躬恒
歌人の振り分けのバランスとしては名前だけを見ると、どうも右方が有利のように見えるが、実際 「左勝」が三つであるのに対して、「右勝」が七つという結果になっている。この判が誰のものであるかはわからないが、左方では貞文の、右方では貫之の名が作者名として歌に付けられていないところから、この二人が勝・負・持の判を行なったとも考えられる。この歌はその 「左兵衛佐定文歌合」に含まれるものではないが、そうした環境の中での貞文の軽妙さをよく表わしている歌であると言える。
"しげき" は、直接的には「草葉」に掛かるが、「繁き草葉」は 「妻恋ひ」の程度の強さの譬えでもある。 「しげき恋」の歌の一覧については 550番の歌のページを参照。 "飛び立つ" という部分が自分の落ち着かない状態を表しているのかどうかは、微妙なところである。
また、ここでの 「しげき妻恋ひ」を雉の発情期の熾烈な 「妻恋ひ」争いとして、 「飛び立つ雉」は、そこから脱落して去って行く姿とも見えなくもないが、万葉集にある次の歌などを見ると、そう見るのは、やはり難しそうである。
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[万葉・巻八1446] 春の野に あさる雉(きぎし)の 妻恋ひに おのがあたりを 人に知れつつ [万葉・巻十四3375] 武蔵野の をぐきが雉 立ち別れ 去(い)にし宵より 背ろに逢はなふよ [万葉・巻十九4148] 杉の野に さ躍る雉 いちしろく 音にしも泣かむ 隠り妻かも |
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"ほろろ" は、実際の雉の声とはかけ離れているが、 「雉−なく」からのつながりの強さを考えると、「ほろろ」は雉の声の擬音と見てよいのではないかと思われる。この「ほろろ」は、今でも 「けんもほろろ」(=頼みを取り合わずに冷たくあしらうさま)という言葉の中で残っている。その語源は正確にはわからないが、「けん」も雉の鳴き声の擬音からきていると言われている。
ただ、これには雉の羽音の擬音ではないかという説が昔からあり、それについて賀茂真淵は「古今和歌集打聴」の中で、「雉の声はけん/\と鳴故にきゞしともきゞすとも云ほろゝは飛立羽音也されど此歌は恋なれば我しげき妻乞に涙をほろ/\と落して泣と云を雉によせていへばほろゝと泣と云も嫌ひなし」と述べており、「古今和歌集全評釈 補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) を見ると、それはほとんど藤原顕昭の「古今集註」の解釈と同じである。
また、その「打聴」の頭注に 「後の歌に山鳥のほろ/\となくこゑきけば 又朝たつきゞすほろゝとぞなくこれらのほろゝの詞はわろし」とある。ここで引かれている歌は、契沖「古今余材抄」にもあげられている次の二つの歌である。
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[玉葉・巻十九2628] 行基菩薩 山鳥の ほろほろと鳴く 声きけば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ
[夫木和歌抄・巻五1785] 和泉式部 かりの世と 思ふなるべし 春の野の 朝たつ雉(きぎす) ほろろとぞなく |
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この頭注は、真淵の話を聞き書きをした人(野村ともひ子:旧姓吉岡)の自分用のメモであるが、何を 「わろし」と言っているのかわかりづらい。おそらく、鳥の鳴き声を具体的に 「ほろろ(ほろほろ)」としている点を指しているのであろう。
本居宣長の「古今和歌集遠鏡」は、序詞を訳から外すという方針でかかれているが、この歌についても 「オレハ女ヲ思フ思ヒガシゲウテ ホロ/\トサ泣マス」として 「雉」の部分をばっさりと切っている。ちなみに「打聴」でも「遠鏡」でも、歌の本文のこの個所は 「ほろゝとぞ鳴」となっている。
この歌の次には、似たような紀淑人の 「鹿の声」の擬音の歌が置かれており、この歌の 「春」に対して 「秋」の歌となっている。
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