Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻二

       心地そこなひてわづらひける時に、風にあたらじとておろしこめてのみ侍りける間に、折れるさくらの散りがたになれりけるを見てよめる 藤原因香  
80   
   たれこめて  春のゆくへも  知らぬ間に  待ちし桜も  うつろひにけり
          
     
  • たれこめて ・・・ 帳や格子などを下ろして部屋にこもって
  詞書の意味は、「体の具合が悪いので風に当たらないようにと部屋に篭っている時に、折った桜が散り始めているのを見て詠んだ」歌ということ。

  
部屋に篭っていて、春の様子もわからない間に、待っていた桜も散り方になってしまいました、という歌。見舞いにもらった桜の枝の様子を見て、桜の季節の終わりを知ったということである。花が終わることを知った今でも、風にあたることを恐れて無理には外に出られないのだろう。 「折れる桜」が "待ちし桜  とは別物と見ていることからは、自分が外に出て桜を見たかった という気持ちが伝わってくる。出てくる順序は逆だが、次の読人知らずの歌とつながりを感じさせる。

 
70   
   待てと言ふに  散らでしとまる  ものならば  何を桜に  思ひまさまし
     
        この歌に出てくる 「ゆくへ(行方)」という言葉を使った歌には次のようなものがある。

 
     
80番    たれこめて  春のゆくへも 知らぬ間に  藤原因香
286番    もみぢ葉の  ゆくへさだめぬ 我ぞかなしき  読人知らず
448番    魂のゆくへ  見ぬぞかなしき  読人知らず
611番    我が恋は  ゆくへも知らず はてもなし  凡河内躬恒
988番    ゆくへ知らねば  わびつつぞ寝る  読人知らず
989番    ゆくへも知らず  なりぬべらなり  読人知らず
996番    ゆくへも知らぬ  跡をとどむる  読人知らず


 
        同じ言葉に 「行く方(ゆくかた)」というものがあるが、それについては 「行く方のなき 我が心かな」という 462番の忠岑の 「かたの」の物名の歌のページを参照。またその他、「方」という言葉を使った歌については 201番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/11 )   
(改 2004/02/24 )   
 
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