心地そこなひてわづらひける時に、風にあたらじとておろしこめてのみ侍りける間に、折れるさくらの散りがたになれりけるを見てよめる | 藤原因香 | |||
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部屋に篭っていて、春の様子もわからない間に、待っていた桜も散り方になってしまいました、という歌。見舞いにもらった桜の枝の様子を見て、桜の季節の終わりを知ったということである。花が終わることを知った今でも、風にあたることを恐れて無理には外に出られないのだろう。 「折れる桜」が "待ちし桜 とは別物と見ていることからは、自分が外に出て桜を見たかった という気持ちが伝わってくる。出てくる順序は逆だが、次の読人知らずの歌とつながりを感じさせる。 |
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この歌に出てくる 「ゆくへ(行方)」という言葉を使った歌には次のようなものがある。 |
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同じ言葉に 「行く方(ゆくかた)」というものがあるが、それについては 「行く方のなき 我が心かな」という 462番の忠岑の 「かたの」の物名の歌のページを参照。またその他、「方」という言葉を使った歌については 201番の歌のページを参照。 |
( 2001/12/11 ) (改 2004/02/24 ) |
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