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袖が濡れながらも、あえて折ったのだ、もう今年の内に春は何日もないだろうと思ったので、という歌。他の業平の歌と同様、歌の中に対象を具体的に詠み込んでいないので、詞書がなければ折ったのが 「藤の花」だとはわからない。
詞書にある 「やよひのつごもりの日」とは旧暦三月の末日ということ。末日なのに 「いくかもあらじ」とは合わないように見えるため、「つごもりの日」を末日とは見ずに 「月こもりの日」の意味とする説もある。また本居宣長の「古今和歌集遠鏡」では、「春ハマダイクカモアルデハアルマイ モウ当年ノ内ニハ タツタケフ一日ナラデハ春ハナイ」と訳し、「何日もないだろう (すなわち今日で春は終わり)」という感じで見ているが微妙なところである。
ここでは 「つごもりの日」は末日とし、暦の春(=三月の末)が過ぎても実質の春がそこでぴたりと終わるわけではない、という見方から歌の意味は、濡れながらもあえて折りました、この年の春はもう幾日もないと思ったので、と解釈しておく。
「あらじ」という言葉を使った歌の一覧は 934番の歌のページを参照。
また、この歌はどことなく 21番の仁和帝(=光孝天皇)の「君がため 春の野にいでて 若菜つむ」という歌を思い出させる。それに合わせて 「雪に若菜、雨に藤」という趣向なのかもしれない。
「しひて」という言葉を使った歌には次のようなものがある。
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