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       ほととぎすの鳴くを聞きてよめる 紀貫之  
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   五月雨の  空もとどろに  郭公  何を憂しとか  夜ただ鳴くらむ
          
     
  • 五月雨 ・・・ 陰暦五月頃に降り続く雨
  • とどろ ・・・ 音が響き渡る様子
  
五月雨が空に響くほどに降っている中、ホトトギスは何がつらくて夜ひたすらに鳴いているのか、という歌。普通に読めば "空もとどろに" は「鳴く」を修飾しているようだが、一般的には五月雨の様子とされている。貫之は同じフレーズを 1002番の長歌で「五月雨の  空もとどろに  小夜ふけて」と使っている。

  この歌では、言葉としては "空もとどろに" という部分が印象的であるが、全体のバランスはあまりよくないように感じられる。それは最後の "夜ただ鳴くらむ" の 「夜」が意味的には出し方が遅く、音としては弱いことによるものであろう。 153番の友則の「五月雨に 物思ひをれば 郭公」という歌と比べて見たい。 「五月雨」を詠った歌の一覧は 88番の歌のページを参照。

  また、現代では梅雨は鬱陶しいものという感覚があるので、空に響くほど降っている五月雨=梅雨の夜に鳴くホトトギスに対して、 "何を憂しとか" とかぶせる理由がわかりづらい。五月雨を恵みの雨として見ているとも考えられなくはないが、歌からそのような感じは伝わってこない。どうも後半の二句の付け方が安直に思える。

  他に "何を憂しとか" という言葉を使った歌としては、恋歌五に 803番の兼芸法師の 「何を憂しとか 人のかるらむ」という歌がある。

 
( 2001/11/15 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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