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さあ、ここで人生の残りを費やそう、菅原の伏見の里がこのまま荒れてゆくのを見過ごすのも惜しいので、という歌。 "菅原や 伏見の里" と詠われている場所は、平城京の西で垂仁天皇陵(菅原伏見東陵)の近く、現在の奈良県奈良市菅原町のあたりであると言われている。
「世をへる」という言葉は、924番の承均法師の歌や 929番の躬恒の滝の歌などにも使われており、自分が 「世をへる」という言い方は、恋歌五の 753番の友則の「いとはれてのみ 世をばへぬらむ」という歌に見られるが、この歌では "我が世は" と強めに詠われている。 「経(ふ)」という言葉を使った歌の一覧については 596番の歌のページを参照。
"菅原や" の 「や」は間投助詞。 「地名+や」というかたちを持つ歌の一覧は 871番の歌のページを参照。 "荒れまくも惜し" の 「まく」は 「〜だろうこと」というニュアンスを表す連語で 864番の読人知らずの歌で「たたまく惜しき ものにぞありける」と使われている他、 620番の歌のページにまとめてある 「見まくほし」という言葉の中でも使われている。
また、似た感じの歌としては 908番の読人知らずの「かくしつつ 世をやつくさむ 高砂の」という歌が思い出される。 「荒れたるもの」を詠った歌の一覧は 237番の歌のページを参照。
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