寛平の御時きさいの宮の歌合せのうた | 在原棟梁 | |||
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「袂(たもと)」は本来 「手本」あるいは 「手元」で、肘から先の手の部分を指すが、ここでの "袖" と "袂" は、ほとんど同じ部分のことを、言葉を変えて言っているだけで、物名の部で 424番の在原滋春が「拾はば袖に はかなからむや」と言ったのに対して、忠岑が 425番で「袂より はなれて玉を つつまめや」と返しているものと同じであると考えられる。 歌の意味は、秋の野の袂だろうか、花ススキは、その穂の身振りで私を招く袖のようだよ、ということ。恋歌仕立ての姿のよい歌である。 「穂に出づ」は隠していたものを明らかにするということで、ここでは他の秋の草より背丈が高く穂を出しているススキの様子を、「さあ、いらっしゃい」と気持ちを見せて招くものに見立てたものであろう。 「穂に出づ」という表現は次のような歌で使われている。 |
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このうち 547番の歌は 「出づ」という言葉は使われていないものの、意味的には同じである。 「秋と袖」を詠った歌としては、「菊の花のもとにて人の人待てるかたをよめる」という詞書のついた次の友則の歌がある。 |
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( 2001/11/06 ) (改 2004/02/26 ) |
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