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- 名を惜しみ ・・・ 噂として広まるのが嫌なので
- 下ゆふ紐 ・・・ 下袴や下裳の紐 (=下紐)
- むすぼほれつつ ・・・ 結ばれる/気持ちがふさぐ (結ぼほる)
気持ちを表にあらわして恋をするのはよいが、噂が広まるのは嫌なので、それを察してか下紐が結ばれて解けずにいる、という歌。 「花薄−穂にいづ」(=明らかになる)、「下紐−結ぼほる」(=気分がふさぐ)という二つの言い回しを使っている。
「〜ば〜み」という言い方は、937番の小野貞樹の歌に「みやこ人 いかがと問はば 山高み」というものがあり、それからするとここの "名を惜しみ" も、497番の歌のページで一覧している「〜を〜み」というかたちに見えるが、「惜しみ」は 「惜しむ」の連用形であるようにも見える。
古今和歌集の歌の中では接尾語「み」は多くは形容詞の語幹についているが、 228番の「名をむつまじみ」のように語幹ではなく 「睦まし」に 「み」がついているものもあり、「惜し」に 「み」がついてもおかしくない。その一方で 640番の「しののめの 別れを惜しみ」という歌の 「惜しみ」は、「〜を〜み」のパターンとも見えなくはないが、「惜しみ...なきはじめつる」と掛かる動詞「惜しむ」の連用形と見た方が自然であるように思える。
この 「花薄」の歌の場合、 "名を惜しみ" の主語は作者であるが、その気持ちを察して 「下紐」が 「むすぼほれつつ」ということであれば 「惜しみ...むすぼほれつつ」と掛かっているとも考えられ、「むすぼほれつつ」を 「気分がふさいでいる」という意味を強くとり、 " 下ゆふ紐の" を序詞と見れば、やはり惜しみ...むすぼほれつつ」と掛かるように思えるので、微妙なところである。理由を表す 「み」でも連用形の 「惜しみ」であっても、意味としてはどちらも 「惜しいので」ということになるので、それほどこだわる必要もないのかもしれない。
"穂にいでて恋ひば" という表現は 547番の読人知らずの「秋の田の 穂にこそ人を 恋ひざらめ」というものと似ており、748番には「穂にいでて人に 結ばれにけり」という同じ "花薄" で始まる藤原仲平の歌もある。 「穂に出づ」という表現を使った歌の一覧は 243番の歌のページを参照。
また、この 「下ゆふ」という言葉は音だけを考えれば次の大歌所御歌にある 「ふるき大和舞のうた」の出だしにも似ている。
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