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       題しらず 読人知らず  
538   
   浮草の  上はしげれる  淵なれや  深き心を  知る人のなき
          
        私の心は浮草が上に茂った深い淵だろうか、深い思いを知る人はいない、という歌。

 "浮草" そのものについては語らず、それが覆い隠している "淵" を "深き心" に譬えた歌である。譬えには意外性はないが、古今和歌集の中では他の「浮草」の歌は次のように「浮草」をメインにしているので、それをサブに回していることが新鮮に見えないこともない。
  • 592番・壬生忠岑 ・・・ 根ざしとどめぬ 浮草の 浮きたる恋も 我はするかな
  • 938番・小野小町 ・・・ 身を浮草の 根を絶えて
  • 976番・凡河内躬恒 ・・・ 浮草の うきことあれや 根を絶えて来ぬ
  また、"深き心" を詠った歌としては、535番の読人知らずの歌が、「とぶ鳥の」と出して 「奥山」で 「深き心を 人は知らなむ」としており、この 「浮草の」の歌と非常に近いかたちをしている。それ以外にも次の近院右大臣(=源能有)の歌があるが、こちらは 「深き心」を表わす物(「そめぬうへのきぬ」)が歌の外に出ている。

 
869   
   色なしと  人や見るらむ  昔より  深き心に   染めてしものを
     
        「人知れぬ恋の思ひ」を詠った歌の一覧は 496番の歌のページを参照。 「しげる」という言葉を使った歌の一覧は 550番の歌のページを、「〜なれや」という言葉で譬えを引き出している歌の一覧は 225番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/05 )   
(改 2004/03/14 )   
 
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