かの女にかはりて返しによめる | 在原業平 | |||
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歌の意味は、気持ちが浅いからこそ袖が濡れるのでしょう、その涙川に体が流れるほどだと言うなら、頼みにしようとも思いますが、ということ。 "浅み" には 「浅い所」ということと、「浅いので」という二つを掛けているようである。理由を表す接尾語の 「み」には次のように 「〜を〜み」という形と、その 「を」が抜けて 「名詞+形容詞の語幹+み」となっているタイプがよく使われる。その他の歌の例については 50番の歌のページを参照。 |
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"身さへ流る" ということについて、本居宣長は「古今和歌集遠鏡」の中で「身さへながるとは。たゞ袖のみひづるにむかへて。深きことをいへるのみ也。たとへたる意はなし。」と述べている。ただ、ここには 「涙川」の縁語としての例の 「流る−泣かる」も含まれていて、その意味的には一本筋にいかない 「薄い掛かり」も含めての歌なので、これを「深きことをいへるのみ」と切り捨ててしまうのは、少し無粋であるような気もする。 「涙川」を詠った歌の一覧は 466番の歌のページを参照。 この歌と一つ前の歌のやりとりは、「伊勢物語」の第一〇七段にも採られていて、そこにこの返しをもらった敏行が 「めでてまどひにけり。」と書かれている。思いがけず機知に富んだ歌が返ってきたので、すばらしいと感嘆しつつ、これはこれは、と一層恋する気持ちが深くなった、という感じか。歌の調べとしては、「アサミ − ヒツラメ − ナミダ − ミサヘ」 と 「み」が 「身」に共鳴し、最後の 「聞かばたのまむ」の 「き (ki)」にも i の音で自然なつながりとして聞こえる。 「さへ」を使った歌の一覧は 122番の歌のページを、「たのむ」という言葉を使った歌の一覧は 613番の歌のページを参照。 |
( 2001/09/20 ) (改 2004/03/09 ) |
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