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       題しらず 僧正遍照  
771   
   今こむと  言ひて別れし  あしたより  思ひくらしの  音をのみぞ鳴く
          
     
  • あした ・・・ 朝
  
すぐにまた来るよ、とあなたが言って別れた朝から、私は一日中あなたのことを思って、ただ泣くばかりです、という歌。 「ヒグラシ−日暮らし」を掛けた、女性の立場に立っての歌である。恋歌一にある 543番にある「明けたてば 蝉のをりはへ なきくらし」という読人知らずの歌が思い出されるが、この歌は恋歌五にあって、恋の終わりの歌である。

  古今和歌集の配列から見れば 「日暮らし」は、毎日々々 「日を暮らす」という長い期間を表しているようにも思えるが、基本的には 「日暮らし」は 「夕暮れまでずっと」という一日の中のことである。特にこの歌の場合は、 "あした" (=朝)という言葉もあり、「ひぐらし」の中にある「暮れ」ということと対にしているものと思われる。その他の 「ひぐらし」の歌を見てみると、以下のように 「日暮れ・夕暮れ」を表す言葉と一緒に使われている。

 
     
204番    ひぐらしの 鳴きつるなへに  日は暮れぬ  読人知らず
205番    ひぐらしの 鳴く山里の  夕暮れ  読人知らず
771番    思 ひくらし  音をのみぞ鳴く  僧正遍照
772番    ひぐらしの 鳴く夕暮れ  立ち待たれつつ  読人知らず


 
        これはそれらの歌が直接 「ヒグラシ」を指しているからとも言えるが、そこから遡って考えると、この歌では "思ひくらし" の中に 「ひぐらし」が含まれているけれども、物名ではなく恋歌五に置かれているのが気になる。その点をふまえてか、「拾遺和歌集」では巻七370に、この歌が次の二つの貫之の歌と共に、この歌が 「ひぐらし」の物名として再録されている。

  [拾遺・巻七371]  そま人びとは  宮木ひくらし  あしひきの  山の山彦  声とよむなり
  [拾遺・巻七372]  松の音は  秋のしらべに  聞きこゆなり  高くせめあげて  風ぞひくらし

  ちなみに古今和歌集の物名の部では、 432番の「秋はきぬ いまやまがきの きりぎりす」という歌など、歌の内容として虫を詠った歌はあるが、物名の題として虫を使った歌は 「ひぐらし」も含め一つも採られていない。

  また、この歌の作者名として、古今和歌集が名前を記さず、前の歌から引き継いで遍照の歌としているのに対し、「拾遺和歌集」でも名前が書かれていないが、同じように「拾遺和歌集」上で遡ると、最後に名前があるのは巻七367の忠岑の 「かるかや」の物名の歌であるので、それは忠岑の歌ということになる。 「有明の つれなく見えし 別れより」という 625番の忠岑の歌と歌の調べが似ているので、そうしたもののようにも見えるが、実際のところはわからない。

  「音に鳴く」という表現を持つ歌の一覧は 150番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/04 )   
(改 2004/02/23 )   
 
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