Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻三

       題しらず 読人知らず  
147   
   郭公  なが鳴く里の  あまたあれば  なほうとまれぬ  思ふものから
          
     
  • なが ・・・ お前が(汝が)
  • うとまれぬ ・・・ 嫌だと思う
  
ホトトギスよ、お前が鳴く里は多くあるので、やはり嫌になってしまうよ、憎からず思っているけれど、という歌。 「なほ」は 「さらに」という意味と 「やはり」という意味があるが、この歌の場合、「やはり」と解釈されるのが一般的である。1032番に同じく 「なほ」を使ったこの歌の春霞バージョンがあり、そちらの方がわかりやすい。

  この歌は夏歌に分類され、ホトトギスが里で鳴く様子を表しているが、それは同時にホトトギスを男に見立てて怨みごとを言っているようにも見える。 「あまた」つながりで言えば、次の恋歌四のような感じである。

 
706   
   おほぬさの  ひくて あまたに   なりぬれば  思へどえこそ  たのまざりけれ
     
        古今和歌集の中の四季の歌には恋歌との境がはっきりしないものも多く、例えば恋歌四にある次の歌などは、この歌と同様、題しらず・読人知らずなので、夏歌にあっても不自然ではない。分類の基準は、歌の雰囲気、使われている言葉、前後の歌との関係など様々であろうが、撰者たちがどこに着目して分けているかを考えてみるのも面白いかもしれない。

 
710   
   たが里に   夜がれをしてか  郭公   ただここにしも  寝たる声する
     
        "思ふものから" の 「ものから」は 「〜だけれど」という逆接と 「〜だから」という順接のどちらにも使われる。この歌の場合は、「疎む」と 「思ふ」が反対の意味なので逆接と見るのが自然か。 「ものから」という表現は次のような歌で使われている。

 
     
147番    なほうとまれぬ  思ふものから  読人知らず
206番    待つ人に  あらぬものから  在原元方
455番    あひくる身をば  捨てぬものから  兵衛
685番    見るものから  恋しかるべき  清原深養父
713番    いつはりと  思ふものから  読人知らず
737番    おのがものから  形見とや見む  源能有
741番    ふるさとに  あらぬものから  伊勢
772番    こめやとは  思ふものから  読人知らず
774番    今はこじと  思ふものから  読人知らず
784番    さすがに目には  見ゆるものから  紀有常女
910番    消えぬものから  寄る方もなし  読人知らず


 
        似たような言葉に 「ものゆゑ」があるが、その一覧については 100番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/25 )   
(改 2004/01/20 )   
 
前歌    戻る    次歌