池に月の見えけるをよめる | 紀貫之 | |||
881 |
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二つはないものと思っていたのに、水底に、山の端でもないのに現われた月の姿よ、という歌。 契沖が「古今余材抄」で 「ひともとゝ思ひし菊をとよめる歌のたくひ也」と述べているように、275番の「大沢の 池の底にも 誰か植ゑけむ」という友則の州浜の菊の歌が思い出される。また 「山の端の月」ということでは、884番の「山の端逃げて 入れずもあらなむ」という業平の歌があり、「池に映る月」ということでは、316番の「影見し水ぞ まづこほりける」という読人知らずの歌が連想される。 詞書に特に記されていないので、一つ前の 880番の「月影の いたらぬ里も あらじと思へば」という歌と同じ時に作られたものではないようだが、 "ふたつなき ものと思ひしを" という感じは、その気持ちとよく響き合っているように思え、「ふたつなきもの」という言い方は、747番の歌のページに一覧している 「我が身ひとつ」という言葉を思わせるようなところもある。 |
( 2001/12/06 ) (改 2004/01/30 ) |
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