寛平の御時きさいの宮の歌合せのうた | 在原棟梁 | |||
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中国の故事でコオロギが鳴く声を、冬に備えて機を織れと言っている、とするものがあり、それをふまえて 「袴」という言葉を含むフジバカマに合わせたものである。よって "つづりさせてふ" は、「誰かに綴らせよ」ということで、「自分に綴らせてほしい」ということではないようである。 「〜てふ」という表現を持った歌の一覧は 36番の歌のページを参照。 また、「綻ぶ(ほころぶ)」という言葉からは、26番の貫之の「乱れて花の ほころびにける」という歌が連想される。フジバカマの花は小さいが、「蕾がほころぶ」というイメージも合わせているようにも見える。ただし古今和歌集の誹諧歌の流れで見ると、フジバカマが秋風に吹かれて 「はしたなく」乱れている、というニュアンスが強い。 「〜ぬらし」というかたちが使われている歌の一覧は 192番の歌のページを参照。 「つづり」という言葉からは、421番の「たむけには つづりの袖も 切るべきに」という素性法師の歌も思い出される。 「きりぎりす」を詠った歌の一覧は 244番の歌のページを、 「秋風」を詠った歌の一覧は 85番の歌のページを参照。 この棟梁の歌は「寛平の御時きさいの宮の歌合」では次の右方の読人知らずの歌と共に秋歌の歌群の中にある。 秋の夜の 雨と聞こえて 降りつるは 風に散りつる 紅葉なりけり また、「寛平の御時きさいの宮の歌合」の秋歌のもう少し後の方には、次のような読人知らずのいかにも誹諧歌というような歌もある。現代では 「管を巻く」と言えば、「酔っ払って愚痴を繰り返し言う」ことだが、ここでの 「管」は、その元の意味で、機織の道具の「杼(ひ)」(=シャットル)の中の横糸を巻き付ける部分のこと。 雁がねは 風をさむみや 機織り女 くだまく音の きりきりとする また、この歌では虫だが、鳥などが 「〜というように鳴いている」ということを詠った歌の一覧は 1034番の歌のページを参照。 |
( 2001/11/08 ) (改 2004/03/10 ) |
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