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吉野川の岸辺の山吹に風が吹き、水底に映る影さえも散ってしまった、という歌。ここでの 「うつろふ」は前に " 吹く風に" とあるので「散る」ということと考えてよいだろう。「うつろふ」という言葉を使った歌の一覧については 45番の歌のページを参照。
元の山吹が風に散れば、水に映る影も同じように散るのは当然で、それはそれでシンプルでよいものの、少し物足りない感じもする。そこで 「水の流れを受けても散らない水中の山吹はずっと散らないものかと思っていたのに...」という気持ちを添えて見てみたいような気もする。
散り方の花が水に映る、という状況を詠ったものに 44番の伊勢の「散りかかるをや 曇ると言ふらむ」という歌があるが、それと比べるとこの歌は "底の影さへ" の 「さへ」一点に気持ちを絞っていて、貫之の歌としては抑え気味である。 「山吹−吹く風に」というつなぎ方にもくどさがなく、歌全体として上品な感じを受ける。 「吹く風」を詠った歌の一覧については 99番の歌のページを、「さへ」を使った歌の一覧は 122番の歌のページを参照。
この歌の他に、水の底に花がある、という歌としては、275番の「大沢の 池の底にも 誰か植ゑけむ」という紀友則の州浜の歌があり、「底」ではないが水中の花ということでは、845番の小野篁の「水の面に しづく花の色 さやかにも」という歌が思い起こされる。
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