となりより常夏の花をこひにおこせたりければ、惜しみてこのうたをよみてつかはしける | 凡河内躬恒 | |||
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歌の意味は、塵一つさえ付けないようにと咲いてからは、妻と自分が寝る床のように大切にしてきた常夏の花ですから、ということ。 「常夏」の 「とこ」に 「床」を掛けていて、 "妹と我が寝る 常夏の花" というフレーズは、なめらかで口当たりがよい。 「塵も置かない床」というのは、その逆の 「塵が積もった床」というのを想像してみると理解しやすいかもしれない。自分と愛妻が過ごす 「床」は二人にとって大切な場所だからこまめに手入れをする。それと同じぐらい大事に手をかけている花なのですよ、という感じであろう。 他に 「床−塵」という歌としては、676番の伊勢の「塵ならぬ名の 空に立つらむ」という歌があり、床を払うということでは同じく伊勢の 733番の「はらはば袖や 泡と浮きなむ」という歌がある。 また、「妻と自分」ということでは、1072番の 「みづくきぶり」の歌に「妹とあれと 寝ての朝けの 霜の降りはも」という表現があり、隣とのやりとりの歌としては、1021番に深養父の「中垣よりぞ 花は散りける」という歌がある。 「だに」という言葉を使った歌の一覧については 48番の歌のページを参照。 |
( 2001/12/04 ) (改 2004/02/22 ) |
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