Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻十三

       ひむがしの五条わたりに人を知りおきてまかりかよひけり、しのびなる所なりければ、かどよりしもえいらで、かきのくづれよりかよひけるを、たびかさなりければあるじききつけて、かの道に夜ごとに人をふせてまもらすれば、いきけれどえあはでのみかへりてよみてやりける 在原業平  
632   
   人知れぬ  我がかよひぢの  関守は  よひよひごとに  うちも寝ななむ
          
     
  • うちも寝ななむ ・・・ うたた寝でもして欲しい
  長い詞書の内容は、「東の五条のあたりに親密な関係になった女性がいたが、こっそりと通っていたので門(かど)からは入れず、垣の崩れた所から忍び込んでいた。何度も繰り返すうちに、家の主人がそれを聞きつけてその道に夜毎に見張りをつけたので、近くまでは行くのだけれど逢うことができずに帰ってきて、詠んで贈った」ということ。

  歌の方は、
秘密の通い路にいる関守は毎晩ごとにうたた寝でもして欲しい、ということで、詞書通り、逢えずに帰ってきた時の歌である。番人がいるのに "人知れぬ" とは少し変な気がするが、人知れぬと思っていた我が通い路に今や立っている関守は、ということなのだろう。

  "うちも寝ななむ" は、「(うち+も+寝)+な+なむ」で、はじめの 「うち+も+寝」は、558番の藤原敏行の歌の「うちぬるなかに 行きかよふ」と同じ 「うち寝(ぬ)」(=少し寝る)という動詞の接頭語「うち」の次に、係助詞「も」が入り込んだかたちである。接頭語「うち」が使われている歌の一覧については 12番の歌のページを参照。 「な+なむ」は完了の助動詞「ぬ」の未然形+願望の終助詞「なむ」で、他の歌でこの 「ななむ」が使われている例については 392番の歌のページを参照。

  「人知れぬ」という言葉が出てくる歌には他に、次のようなものがある。
 
506   
   人知れぬ   思ひやなぞと  葦垣の  まぢかけれども  あふよしのなき
     
534   
   人知れぬ   思ひをつねに  するがなる  富士の山こそ  我が身なりけれ
     
606   
   人知れぬ   思ひのみこそ  わびしけれ  我がなげきをば  我のみぞ知る
     
        上記の三つを含め、「人知れぬ恋の思ひ」の歌は 496番の歌のページにまとめてあるが、それらは古今和歌集の恋歌一と恋歌二に分類されているものであり、基本的に 「人」は相手のことを指している。一方、この業平の歌の場合、「人知れぬ」の 「人」は相手を指しているものではなく、自分(たち)以外の 「他人」ということを表している。恋歌三以降の 「人知れぬ」の 「人」は以下の通り、皆 「他人」を指すと考えられ、うまく分別されて置かれているという感じがする。

 
     
  恋歌三 632番    人知れぬ 我がかよひぢの 関守は  在原業平
  恋歌三 670番    枕より また知る人も なき恋を  平貞文
  恋歌五 810番    人知れず 絶えなましかば わびつつも  伊勢


 
        ちなみに 999番にも「人知れず 思ふ心は 春霞」という藤原勝臣(かちおむ)の歌があって、これは歌だけを見ると恋歌のようだが、「うたたてまつりけるついでにたてまつりける」歌であって、恋歌風味であるものの恋歌とは主旨が異なっている。

 
( 2001/09/17 )   
(改 2004/01/23 )   
 
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