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       題しらず 読人知らず  
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   秋萩を  しがらみふせて  鳴く鹿の  目には見えずて  音のさやけさ
          
     
  • しがらみ ・・・ からめて (柵む)
  • ふせて ・・・ 倒して (伏す)
  • さやけさ ・・・ はっきりしている様子 (清けさ)
  
秋萩をからむのを倒しながら鳴く鹿の姿は見えないけれど、その声ははっきりと聞こえる、という歌。「しがらみ」は名詞としては 303番や 836番にあるように、川をせき止めるために杭を打ってそこに木の枝などをからませたもののことをいう。ここでは 「伏す」と合わせて、体や足にからみつく萩を分け倒して、というイメージのようである。

  視覚的にはじめて、すぐにそれを "目には見えずて" と否定して聴覚の方に導くという手法が使われている。 "目には見えずて" の 「ずて」は、打消の助動詞「ず」の連用形+接続助詞「て」で、「ずして」と同じで 「〜ないで」ということ。この 「ずて」は 「で」という一語の打消しの接続助詞の原型とも言われ、その 「で」は 797番の「色見え」や、1017番の 「つま」などで使われている。

  「目には見えないけれど〜である」というパターンの歌としては、秋歌上の中に他には、169番の藤原敏行の「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども」という歌と、234番の躬恒の「目には見えねど 
香こそしるけれ」という女郎花の歌がある。また、「秋」がかぶることを気にしなければ、この歌は後半を 312番の貫之の「声の内にや 秋は暮るらむ」と差し替えても違和感がない。

  鹿の声を「さやけし」とした例は万葉集・巻十2141に次の歌があり、

    この頃の  秋の朝明(あさけ)に  霧隠り  妻呼ぶ鹿の  声のさやけさ

  「さやか」ということでは、日本書紀の仁徳天皇紀に次のような記述がある。

 
     
秋七月に天皇と皇后と高臺(たかどの)に居(ま)しまして、避暑(いあつきことをさ)りたまふ。時に毎夜(よなよな)、莵餓野(とがの)より、鹿の鳴(ね)聞こゆること有り。其の聲(こゑ)、寥亮(さやか)にして悲し。


 
        「さやけさ」が質ではなく状態を指すということは、次の 「かへしもののうた」の 「音のさやけさ」と並べて見るとわかりやすい。鹿の声と川の音はまったく違った音だが、それでもクリアに聴こえるという状態は同じということである。 「清か」(=はっきりとしている)ということを詠った歌の一覧は 
169番の歌のページを参照。

 
1082   
   まがねふく  吉備の中山  帯にせる  細谷川の  音のさやけさ  
     
        「鹿」を詠った歌の一覧は 214番の歌のページを、「萩」を詠った歌の一覧は 198番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/28 )   
(改 2004/03/12 )   
 
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