同じ御時せられける菊あはせに、州浜をつくりて菊の花うゑたりけるに加へたりけるうた、吹上の浜のかたに菊うゑたりけるによめる | 菅原朝臣 | |||
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秋風の吹く 「吹上の浜」に立っている白菊は、花なのか、はたまた浪が寄せているのかと見間違えるほどだ、という歌。歌の中の "吹き上げ" は、詞書の中にある 「吹上の浜」を指して、「風吹く」ということと合わせている。 「秋風」を詠った歌の一覧は 85番の歌のページを、 「風吹く」という言葉を使った歌の一覧は 671番の歌のページを参照。 菅原朝臣は菅原道真のこと。古今和歌集成立当時はまだ復位していなかったので、苗字だけの扱いになっている。道真は 845年生れ、903年没。没年五十九歳。 862年文章生、879年従五位上、887年正五位下、892年従四位下、895年従三位、897年正三位、899年右大臣、901年従二位。古今和歌集にはこの歌を含めて二首が採られている。 詞書の「同じ御時」というのは、一つ前の歌の「寛平の御時」というのを受けていて、宇多天皇の時代ということ。 「州浜」は風景を模して作られた模型のこと。詞書が二段階で変な切れ方をしているが、「宇多天皇の時代に催された菊合の時に、州浜を作って菊を植え、その菊に付けられた歌」という部分までが、891年頃催されたといわれる「寛平御時菊合」の説明であり、この歌から 275番の紀友則までの四つの歌の出典を表わす。残りの「吹上の浜の模型に菊を植えたものに詠んだ」というのが、この道真の歌の説明である。 「吹上の浜」は現在の和歌山県和歌山市湊(みなと)あたりの海岸であると言われる。 「新編 国歌大観 第五巻 」 (1987 角川書店 ISBN 4-04-020152-3 C3592) に収められている「寛平御時菊合」によれば、左方は次の十パターンを用意し、はじめの一つ以外が州浜であった。 |
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一方、右方は一つの大きな州浜に区分けして菊を植え、それを一気にドーンと出そうと思っていたところ、左方が小出しにしてくるので、あわててそれに合わせたとされる。こちらは特に名所を模したものではなく、歌から見ると中国の故事などを題材とした創作模型のようなものであったようである。もともとが 「菊」を合わせるものであったため、歌は副次的なもので、同じ題に左右の歌を合わせるというものではなかった。右方の十首の内容は次の通り。 |
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ここで気になるのは、選出した四つの歌の並べ方である。これは現在に伝わる「寛平御時菊合」が選出時と同じ順で歌が並べられているという仮定に依存するが、選び出した四つをそのままの順で古今和歌集の中に置いてもよさそうなものを、わざわざ順序を変えている。恐らく 273番と 274番の右方の歌は 「露」とそれで濡れる 「袖」というつながりがあるため、この二つを核とし、左方の名所の歌で挟んだという感じか。 さて、この歌の内容は、「秋風が吹く−吹上に立つ」というつなぎ方に無理がなくなだらかで、 "花かあらぬか" という揺らし方から、結びの "浪のよするか" まで、風のイメージで通し、その中に白菊を見せて良い姿をしている。 919番の貫之の大井川の鶴を詠った 「寄せてかへらぬ 浪かとぞ見る」という歌は、この歌がベースになっているような感じも受ける。また、"花かあらぬか" という表現は、次の二つの 「それかあらぬか」という歌を連想させる。 |
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「浪の花」ということを詠った歌の一覧は 250番の歌のページを参照。 |
( 2001/12/06 ) (改 2004/03/11 ) |
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