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詞書の意味は「人の庭の植え込み(=前栽:せんざい)に菊を植える時にその菊に結び付けて植えた」歌ということ。歌の内容は、こうして植えておけば、秋が来なくならない限り咲くだろう。花は散るとしても、根までは枯れるものか、ということなのだが、少しややこしい。
まず "植ゑし植ゑば" とは何なのか。これは 「植う」という動詞の繰り返しによる強調である。 「し」は強調の副助詞であり、「ば」は仮定の接続助詞。「こうして植えておいたからには」という感じか。次に "秋なき時や 咲かざらむ" は直訳すると 「秋のない時は咲かないだろうか」ということで、ありえない前提による強い肯定を表わす。 「秋の来ないことはないのだから絶対に咲く」ということ。 "散らめ" と "枯れめ" は前者が "こそ" がついて肯定、後者は "さへ〜や" がついて強い疑問による否定となっている。 「たとえ花は散っても、根までは枯れようか(いや、枯れない→だから秋ごとに絶対咲く)」ということである。全体として語気が強く呪としての歌を感じさせる。 「さへ」を使った歌の一覧は 122番の歌のページを参照。
古今和歌集に収められている業平の他の歌にも、この歌と似たような独特の同義語の反復を持つものがある。普通に考えると、三十一文字という限られた情報量の中では、このような無駄は避けられるべきということになるのだが、字余りといい、そうした堅苦しさにとらわれないところがひとつの歌風となっている。また、それは古今和歌集の撰者たちがそういうように集めたものだと言えるだろう。
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