深草の里にすみ侍りて京へまうでくとて、そこなりける人によみておくりける | 在原業平 | |||
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歌の意味は、長年住んてきた里を出て行けば、その後、深草の地はいっそう草深い野となってしまうだろうか、ということ。この歌には次のような読人知らずの返しが付いている。 |
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「年をへて」という言葉を使った歌の一覧は 596番の歌のページを参照。 "いでていなば" という言い方は、365番の行平の「立ち別れ いなばの山の 峰におふる」という離別歌を連想させる。 「いとど」という言葉を使った他の歌には、恋歌一の 545番に「夕されば いとどひがたき 我が袖に」という読人知らずの歌がある。 「深草の里」は、現在の京都府京都市伏見区の 「深草〜」と名のつく地域のことで、その地に葬られたことにより 「深草のみかど」と言われた仁明天皇を偲ぶ次のような歌がある。 |
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また仁明天皇が亡くなってから約四十年後の 891年に太政大臣・藤原基経が没した時に作られた次の二つの歌でも「深草」が詠まれている。 |
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( 2001/12/06 ) (改 2004/01/28 ) |
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