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       音羽の山のほとりにて人をわかるとてよめる 紀貫之  
384   
   音羽山  こだかく鳴きて  郭公  君が別れを  惜しむべらなり
          
     
  • こだかく ・・・ 梢高く (木高し)
  
音羽山の梢高く鳴くホトトギス、それはあなたとの別れを惜しんでいるようです、という歌。自分たちがこうして別れを惜しんでいるのに共感してか、あの木の高みでも鳥が鳴く(泣く)、ということを音羽山という場に合わせたものだろう。ただ、続く 384番の歌と比べると、「鳴く−泣く」の結びつきは弱いように感じられる。

  同じ貫之の 579番の恋歌に「五月山 梢を高み 郭公」とあり、夏歌には 142番の紀友則の「音羽山〜梢はるかに 今ぞ鳴くなる」という歌があって、この歌と近く、また哀傷歌として詠われた貫之の「郭公 今朝鳴く声に おどろけば」という 849番の歌も思い出される。 "惜しむべらなり" は 「惜しんでいるようだ」ということで、同じ結び方をしている歌に次の読人知らずの歌がある。

 
877   
   遅くいづる  月にもあるかな  あしひきの  山のあなたも  惜しむべらなり  
     
        「音羽山」の近くに 「逢坂」があり、恋歌であるが次の在原元方の歌のようにそれらを同時に詠んだものもある。

 
473   
   音羽山   音に聞きつつ  あふ坂の   関のこなたに  年をふるかな
     
        「べらなり」という言葉を使った歌の一覧については 23番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/26 )   
(改 2004/01/06 )   
 
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