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忘れ草は何を種にしているかと思っていたら、つれない人の心だったのか、という歌。
詞書にある 「寛平の御時」とは宇多天皇の時代ということ。「よみてかきける」とあるのは、素性法師は能書家としても有名だったことを示していると言われる。ちなみに、素性以外で詞書に 「屏風にかきける」と記述されているのは、 352番に「もとやすのみこの、七十の賀のうしろの屏風によみてかきける」とある貫之と 932番に「屏風のゑによみあはせてかきける」とある坂上是則の二人である。
511番の「涙川 なに水上を 尋ねけむ」という読人知らずの歌の「忘れ草」バージョンのようでもあり、 "思ひしは" という部分からは 818番の「ありそ海の 浜の真砂と たのめしは」という歌も思い出される。 "心なりけり""と結ばれている歌には 977番の「思ふより 外なるものは 心なりけり」という躬恒の歌もある。また、 431番の「泡をかたまの 消ゆと見つらむ」という友則の 「をがたまの木」の物名からの連想では、「ナニヲカタねと」のように 「難波潟(ナニハガタ)」の物名の不完全形のような気もするが、これはただの偶然であろう。
一つ前には 「忘れ草/つれない/人の心」という同じような言葉を使った、次の源宗于(むねゆき)の歌が置かれている。
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