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逢うことを伸ばし伸ばしにして、ただ恋しいと思っている間に年月が過ぎてしまった、という歌。
「長柄−ながらえる」 「橋−渡る」としているのに加えて、長柄の橋が長い年月を経た古いものであることに沿わせながら、「ながらふ」の本来の意味である「生きながらえる」ということを、最後の "年ぞへにける" で掬い上げている歌である。
歌の内容からは 180番の躬恒の「七夕に かしつる糸の うちはへて」という歌が思い出される。 「恋ひ渡る」という表現のある歌の一覧は、その180番の歌のページを参照。 "年ぞへにける" の「経(ふ)」という言葉が使われている歌の一覧は 596番の歌のページを参照。
1003番の忠岑の長歌にも「長柄の橋の ながらへて」とあり、「長柄(ながら)」に 「永らふ」(=生きながらえる)を合わせている。 「永らふ」は 347番の仁和帝(=光孝天皇)の「かくしつつ とにもかくにも ながらへて」という歌に出てくるが、その他にも、続く 827番の「流れてとだに たのまれぬ身は」という歌のように 「流る」と掛けられて使われることもある。他に 「長柄の橋」が詠われている歌には、次の読人知らずの歌と伊勢の歌がある。
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