竜田川のほとりにてよめる | 坂上是則 | |||
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紅葉が流れることがなければ 「水の秋」を誰が知ろうか、という内容で、歌の意味は取りやすく、250番の文屋康秀の「浪の花にぞ 秋なかりける」という歌を思い出させる。また、紅葉で有名な竜田川に対して "もみぢ葉の 流れざりせば"と詠い出すところは、業平の 53番や 349番の歌の詠いぶりにも通じるものがあるように思える。 古今和歌集で詠まれている 「竜田川」(龍田川・立田川)は、現在の奈良県生駒郡斑鳩町を流れる竜田川の下流あたりと、それが大和川と合流して西に流れる大和川の一部(JR関西本線の三郷駅の少し西ぐらいまで)を指すとされている。 「竜田川」を詠った歌は、そのうち次の五つが秋歌下に収められている。 |
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「竜田川−もみぢ」という似たような道具立てを使いながら、それぞれに個性があり、古今和歌集の配列としても固めずに適当にバラしてふくらみを持たせている。その中にあって是則のこの歌は、大上段に構えた 294番の業平の歌と比べると派手さはないが、「水」という言葉の透明感をうまく利用していて、秋の哀しみまでも包み込んでいるような感じがする。 「竜田川」を詠んだ歌を一覧にしておくと次の通り。竜田山を詠んだの歌の一覧は 108番の歌のページを参照。 |
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"誰か知らまし" の 「まし」は反実仮想の助動詞で、その 「まし」が使われている歌の一覧は 46番の歌のページを参照。 |
( 2001/11/15 ) (改 2004/02/26 ) |
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