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詞書の意味は「河原の大臣が亡くなった年の秋、その家の近くを通った時に、紅葉の色がまだ深く色づいていないのを見て、詠んで家の中に渡した」歌ということ。 「河原左大臣」は源融(とおる)、「近院右大臣」は源能有(よしあり)。源融は嵯峨天皇の皇子、源能有は文徳天皇の皇子。融の住んだ河原院は、現在の京都府京都市下京区本塩竃町あたり。源融が亡くなったのは 895年八月で没年七十四歳。源能有は 845年生れであるので、当時五十一歳。源能有が右大臣になったのはその翌年の 896年だが、源能有も 897年に亡くなっている。
歌の意味は、ふと、やはり寂しく感じてしまうことだ、紅葉でさえも主人のいなくなったこの庭ではその色を控えている、ということ。 "うちつけに さびしくもあるか" は、紅葉の気持ちと考えることもできるが、その家の人々が喪に服しているのに加えて、紅葉までも色づかないことを見ての能有自身の気持ちなのであろう。 852番の歌の詞書にある通り、趣向を凝らした庭を思えばその分、また寂しさが増すという感じか。 「うちつけに」という言葉を使った歌の一覧については 12番の歌のページを参照。
ちなみに古今和歌集の中で左大臣・右大臣と呼ばれている者をまとめてみると次の通り。このうち藤原時平は死後、太政大臣を追贈されている。二人の太政大臣(さきのおほきおほいまうちぎみ/堀川のおほきおほいまうちぎみ)については 831番の歌のページを参照。
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