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       題しらず 読人知らず  
253   
   神無月  時雨もいまだ  降らなくに  かねてうつろふ  神なびのもり
          
     
  • 神無月 ・・・ 旧暦十月
  • かねて ・・・ 先に
  (神無月の)
時雨(しぐれ)もまだ降らないのに、それに先がけて色の変わる「神なびのもり」、という歌。 「神無月」は、神の出雲大社に行っていていない月とするのは俗説であり、「な」は上代の格助詞であって本来 「神の月」という意味、とされるが、この歌の作成時点では、どちらが一般的だったかは不明である。 「時雨」を詠った歌の一覧は 88番の歌のページを参照。

  基本的には秋歌下という分類の中に初冬の「神無月」の歌があるのはおかしい。 "神無月" は
 "時雨" に対する枕詞とも考えられなくもないが、それにしては最後の "神なびのもり" との結びつきが強すぎるような気がする。 「神無月の時雨がまだ降らない」のだから、意味的には特に問題はないが、言葉的には調和を乱しているという感じを受ける。その意味で古今和歌集の分類の枠を超えた歌であるとも言えるだろう。前半が 「わが門のわさだもいまだ刈りあげぬに」となっている伝本もあるそうであるが、「
むなづき−ねてうつろふ−むなびのもり」というつながりは捨て難い。

  「かねて(予ねて)」という言葉を使った歌には次のようなものがある。

 
     
253番    かねてうつろふ  神なびのもり  読人知らず
264番    散らねども  かねてぞ惜しき もみぢ葉は  読人知らず
372番    かつ見ながらに  かねて恋しき  在原滋春
429番    別れむことを  かねて思へば  清原深養父
627番    かねてより  風に先立つ 浪なれや  読人知らず
861番    つひにゆく  道とはかねて 聞きしかど  在原業平
907番    よろづ世かねて  種をまきけむ  読人知らず
1069番    千歳をかねて  楽しきをつめ  読人知らず
1086番    かねてぞ見ゆる  君が千歳は  大友黒主


 
        "神なびのもり" は、388番の源実(さね)の歌の詞書に「山崎より神なびのもりまで〜」という記述があるが、この歌と同じ場所かどうかはわからない。 「神の鎮座する杜(森)」ということで、色々な場所をそう呼んでいた可能性がある。この歌や続く 254番の 「神なび山」などは地名としての意味合いが強いが、神様の場所なのに秋には 「うつろふ」こともあるのか...と詠っている次の貫之の歌などを見ると、やはりベースには 1074番の「神がきの みむろの山の さかき葉は」という神楽歌のように、神のいる場所は不変、という概念があって、それをふまえて、だから 「うつろふ」ことがよけい気になるのだ、という流れがあるように思われる。

 
262   
   ちはやぶる  神のいがきに   はふくずも  秋にはあへず  うつろひにけり  
     
        その他の 「うつろふ」という言葉を使った歌の一覧については 45番の歌のページを参照。また、「〜なくに」という言葉を使った歌の一覧は 19番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/10 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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