題しらず | 読人知らず | |||
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基本的には秋歌下という分類の中に初冬の「神無月」の歌があるのはおかしい。 "神無月" は "時雨" に対する枕詞とも考えられなくもないが、それにしては最後の "神なびのもり" との結びつきが強すぎるような気がする。 「神無月の時雨がまだ降らない」のだから、意味的には特に問題はないが、言葉的には調和を乱しているという感じを受ける。その意味で古今和歌集の分類の枠を超えた歌であるとも言えるだろう。前半が 「わが門のわさだもいまだ刈りあげぬに」となっている伝本もあるそうであるが、「かむなづき−かねてうつろふ−かむなびのもり」というつながりは捨て難い。 「かねて(予ねて)」という言葉を使った歌には次のようなものがある。 |
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"神なびのもり" は、388番の源実(さね)の歌の詞書に「山崎より神なびのもりまで〜」という記述があるが、この歌と同じ場所かどうかはわからない。 「神の鎮座する杜(森)」ということで、色々な場所をそう呼んでいた可能性がある。この歌や続く 254番の 「神なび山」などは地名としての意味合いが強いが、神様の場所なのに秋には 「うつろふ」こともあるのか...と詠っている次の貫之の歌などを見ると、やはりベースには 1074番の「神がきの みむろの山の さかき葉は」という神楽歌のように、神のいる場所は不変、という概念があって、それをふまえて、だから 「うつろふ」ことがよけい気になるのだ、という流れがあるように思われる。 |
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その他の 「うつろふ」という言葉を使った歌の一覧については 45番の歌のページを参照。また、「〜なくに」という言葉を使った歌の一覧は 19番の歌のページを参照。 |
( 2001/12/10 ) (改 2004/02/26 ) |
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