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       題しらず 雲林院親王  
781   
   吹きまよふ  野風を寒み  秋萩の  うつりもゆくか  人の心の
          
     
  • まよふ ・・・ 秩序を乱す (紕ふ)
  
吹き乱れる野風が寒いので秋萩と同じように、あなたの心は色褪せ、散ってゆくのですね、という歌。味わい深い歌である。

  "吹きまよふ" の 「まよふ」は 「迷う」ということでもよさそうだが、本来の 「まよふ(紕ふ)」は布の端の糸がほつれ、乱れること指す。
「古今和歌集全評釈  補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 
ISBN 4-8421-9605-X)
 では、この意味を強くとって「秋萩の中に風が吹きこんでその風で萩の細い枝などが入り乱れる、そのように吹いている風のことであって、あちらこちらと吹き迷い、吹いて回るような風ではない」としているが、微妙なところで、ここはやはり 「野−を−吹きまよふ−風」、
つまり 「野分き(のわき)」のイメージで見ておいた方がわかりやすいような気がする。

  「野風」自体は単に 「野に吹く風」ということだが、この歌の 「吹きまよふ」「寒さ」からは、988番の「あふ坂の 嵐の風は 寒けれど」という歌が思い出される。 「野風」という言葉を使った歌については 230番の歌のページを、「山風/嵐」については 394番の歌のページを参照。また、「〜を〜み」というかたちを持つ歌の一覧は 497番の歌のページを参照。

  この歌の 「うつる」は心変わりを言っているので、秋萩の「色が変わる」ことに合わせていると見るのが自然と思われるが、798番の「人の心の 花と散りなば」という歌もあるので、「うつる」を散るという意味にとってもおかしくないような気がする。同じことは 714番の「人の心も いかがとぞ思ふ」という歌にも言える。 「人の心」という言葉を使った歌の一覧については 651番の歌のページを、「うつる」を使った歌の一覧については 104番の歌のページを参照。

  また、序詞として見れば大した問題ではないのだが、この歌の 「秋萩」は 「葉(下葉)」なのか、
「花」なのか、はっきりしない。古今和歌集の中で 「(秋)萩」を詠った歌の一覧は、198番の歌のページにまとめてあるが、それをざっと見ると 「うつる」を 「変色」と見るなら 「葉(下葉)」、「散る」と見るなら 「花」というところか。ちなみに、本居宣長は「古今和歌集遠鏡」で、この部分を「
萩ノ花ノチツテユクヤウニ」と訳している。

  雲林院親王は仁明天皇の第七皇子である常康親王。851年出家、869年没。仁明天皇にはこの常康親王の他に文徳天皇となった道康親王、光孝天皇となった時康親王がいる。さらに第十五皇子として、貞登(さだののぼる)という人物がおり、恋歌五に次の一首が採られている。

 
769   
   ひとりのみ  ながめふるやの  つまなれば  人をしのぶの  草ぞおひける
     
        古今和歌集に採られている雲林院親王(常康親王)の歌は、この 「秋萩」の歌一首のみだが、75番 / 77番 / 95番 / 292番 / 394番 / 395番の遍照関係 (遍照・素性法師・承均法師・幽仙法師)の歌の詞書に名前が出ている。その内の一つが、次の「雲林院のみこのもとに、花見に北山のほとりにまかれりける時によめる」と詞書のある素性法師の歌である。

 
95   
   いざ今日は  春の山辺に  まじりなむ  暮れなばなげの  花のかげかは
     

( 2001/11/26 )   
(改 2004/03/11 )   
 
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