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遠鏡
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夜ノウス/\トアケテクル時分ニ 海上カラミレバ アノ向ヒナ明石ノ浦ガ 朝ギリデカクレテ見エヌヤウニナツテイクアノケシキヲ遠ウヨソニミテ過テイク 此船中ノ心ハ サテモ/\心ボソイモノガナシイコトヂヤ 此の歌は。打聞に出されたるごとく。今昔物語に。小野の篁の卿の歌とてのせたるぞよろしかるべき。但し明石にて海をながめてよめるとあるは。下の句を心得あやまりておしあてにいへる詞也。今昔物語古本。廿四の巻に出たり。余材四の句の説たがへり。すべて島がくれといふことを。よく解得たる人なし。島がくれとは。海をへだてたるところの。かくれて見えぬをいへり。かならずしも島にはかぎらず。この歌にては朝霧にかくれて。明石の浦のみえぬを。海の沖よりいへるなり。 (千秋云。島がくれゆく舟とは。船の島がくれ行ごとく聞ゆれど。さにはあらず。朝ぎりに明石の浦のかくれゆくを。見つゝゆく舟といふ意なり。この所むかしより人みなまどへり。) |
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余材
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...明石の浦は淡路の岩屋といふ所へ向へり岩屋の北の磯辺は絵島なり其あはひの海わつかに一里はかりにて更にひとつの小島ある事なし顕昭の申されたる島々は明石よりは遥に西南の方にあり家島は播磨の揖保郡にて淡路の西海上八九里に及ひて何くれといふ小島は其めくりにあるよしいへは明石よりは十五六里も過べしそこに島かくれん舟は離婁か目にあらすは見ゆへからす然れは顕昭もいまたよく彼あたりを見すして推量して申されけるにや...今の歌は明ほのにあかしの浦をこき出て京に思ふ人なきにしもあらす海上の風波も又知かたし折あはれなる朝霧は胸のうちにもみちておほくのしまかくれゆかん舟の行へをかけてさま/\に思ふへし朝霧にすなはち誠に島かくれゆくと心得るより明石の沖に島のありなしをは論するなり朝霧のまきれに明石の浦より出とて行末遠く八十島かけて島かくれ行舟のゆくへを思ふと心得は所論なきなり... |
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打聴
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今昔物語に上の篁の歌を上て次に明石に泊りて夜も寝られねば暁に起て海の面をながめ居てと云ことばを書て此歌を出せり是によれば朝ほらけに此浦の霧立たる中を行舟の島にかくれゆくをあはれと見たるさま也然どもしかみる時は其船の如く島かくれゆかん事を思ふ故によそなる舟をもあはれと思ふ事と成ぬをしぞ思ふはをしむ事にあらず下に業平のはる/\来ぬる旅をしぞ思ふとよめるに同じくしは助語にて旅をぞ思ふ也それは京に在わびてあづまへくだるものうさを思ふ也是は其島がくれ行舟を我身をつみてあはれとおもふ也又みつからの乗れる舟の事とせば明石の浦の朝霧の中に島隠を漕ゆくをあはれとぞ思ふと也さてたゞ朝霧の中を行を悲しむにあらず難波より明石の門[ト]まては京の方の山々のかへりみらるゝにこの島陰になりて殊に朝霧さへ立そひ故郷の方の山も見えねばいよ/\悲しくおもはるゝと云意なるべし... |
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