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遠鏡
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磯バタハ海松メガスクナサニ 舟ヲ湊カラ沖ヘズツトコギ出シテ 存分ニミルメヲ刈ルヤウニ ワシガ中モ 大ガイナコトナラ モウ名ノ立ツコトニカマハズニ 世間ヘハツトウチ出シテシマハウ 隠シ忍ブ中ハ 思フヤウニ度々モアハレヌガ イカニシテモウイコトヂヤホドニ 余材打聞。よをうみの説わろし。世は男女の中をいへるにて。忍ぶ中をうく思ふよしなり。又余材船の名のさだ用なし。 |
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余材
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六帖には下の句を人を見るめもおきにこそかれと載たり...今の下句定家卿も世をうみ辺だにと心得ておはしけるに顕昭日本紀に海浜とかきてうみべたとよめる事なと引て釈せられたるを甘心して於此説者もとより思ひよらす尤可信仰但おかしからん女なとのうみへたにと詠出たらんはくちをしくやとかき給へり...よの人のものいひさかなきをうみて磯かくれたる舟のやうに忍ひをれは中々人をみるめのすくなきにみなとよりおきをさしてこき出る舟のことく我名をも公界にあらはしてこひて人を見るめをやすくからんとなり六帖の下句を思ふへし舟には名を付る物なれは我名もとそへていへり萬葉第十一に あちかまの塩津をさしてこく舟の 名はいひてしをあはさらめやも 又十六に沖津島かもといふ舟ともよめり 応神紀には枯野と名付給へる御舟有 続日本紀には高麗へつかはさるゝ使の乗れる舟を能登と名付たる例有... |
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打聴
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是は世の人の物いひさがなきを倦て磯がくれたる船のさまに忍びをれば中々人を見るめの少なきによりて水門[ミナト]より沖へ漕出る船の如く我名をもおほやけにあらはして人の見るめをやすからんと也海べたは上にいへり |
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