Top  > 古今和歌集の部屋  > 本居宣長「遠鏡」篇  > 巻十三 恋歌三

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616   
  起きもせず  寝もせで夜を  明かしては  春のものとて  ながめくらしつ
遠鏡
  オキルデモナシネルデモナシニ  ウツラ/\トシテ夜ヲアカシテハ  又昼ニナレバ  此ゴロノ空ノヤウニ  長雨ハ春ノモノデ一日ナガメテ  シンキニ思フテクラスヂヤ

617   
  つれづれの  ながめにまさる  涙川  袖のみ濡れて  あふよしもなし
遠鏡
  ウチツヾイテ日ヨリハワルシ  日ハ長シ  ヒマデサビシイニツケテハ  イヨイヨシンキデナガメヲシテ  涙ノ川ノ水ガマシテ  袖ガヌレルバツカリデ  ソシテ川ノ水ガマセバ渡ラレヌヤウニ  逢ハレサウナモヨウモナイ

618   
  浅みこそ  袖はひつらめ  涙川  身さへ流ると  聞かばたのまむ
遠鏡
  袖ガヌレルトオツシヤルガ  ソレヤオマヘノ涙川ガ浅サニサ  サウデアラウ  ソデバツカリ  ヌレルグラヰノ浅イコトデハ  頼ミニナリマセヌ  身マデガ流レルトオツシヤルクラヰノ涙川ノ深サナラ  ソレデハ頼ミニ致シマセウ
余材打聞。四の句の説わろし。身さへながるとは。たゞ袖のみひづるにむかへて。深きことをいへるのみ也。たとへたる意はなし。

余材
  ...涙川の浅みまており立てやめはこそ袖のみはひつらめ逢みんかために淵瀬をいはすたゝ渡りにわたりて身さへなかるときかはたのもしき心とおもひて逢んとなり...

打聴
  ...涙川身さへ流るとは逢みん為にはたゞ淵ともいはずたゞわたりに渡りて身も流るゝをいとはぬときけば思ひけりともたのまんをとよめる也

619   
  よるべなみ  身をこそ遠く  へだてつれ  心は君が  影となりにき
遠鏡
  近ウヨルテスヂガナサニ  身コソカウシテ遠ウヘダテヽ居レ  心ハジヤウヂウオマヘノソバヲハナレハセヌ  影ノヤウニドウカラ心ハオマヘニソウテ居ル
余材に。古はよるといふことを。よるべといへり。といへるはひがことなり。さることなし。引たる万葉の歌のは。の意なるを。心得あやまれるなり。

余材
  よるへなみは縁なきなり定家卿云よるへとはたとへは立より頼む縁なと有あたりをいふなり無縁にさしはなれたるをよるへなしとはいふなり今按いにしへはよるといふ事をよるへといへるなり萬葉第九に処女墓を
  つかの上のこのえなひけり聞かこと ちぬをとこにしよるへけらしも
是は処女墓の上の木の枝のちぬ男か方へ今もよりてなひけるは世に有し時うなひ男よりもちぬか方に心のよれると聞しか誠に聞しかことくよりにけらしとよめるなりこれにて知へし...

620   
  いたづらに  行きてはきぬる  ものゆゑに  見まくほしさに  いざなはれつつ
遠鏡
  行テハムダニカヘツテクルモノヽクセニ  アヒタイト思ウ心ニサソハレテハ又シテモイキ/\スルワイ  ドウ云テモトカク逢ヒタサニサ

621   
  あはぬ夜の  降る白雪と  つもりなば  我さへともに  けぬべきものを
遠鏡
  雪ノツモルヤウニ  逢ハヌ夜ガイク夜モ/\ツモツタラ  ソノ雪ノキエルヤウニ  ワシマデガトモニ  消ルデアラウト思ハレルモノヲ  サテモアハレヌコトカナ

622   
  秋の野に  笹わけし朝の  袖よりも  あはでこし夜ぞ  ひちまさりける
遠鏡
  秋ノ野デ笹ノ中ヲ分テトホツテキタ朝ノ袖ハキツウ露デヌレルモノヂヤガ  ソレヨリモ  思フ人ノ所ヘイテ  エアハズニモドツテキタ夜ガサ  ナホキツウ涙デ袖ガヌレルワイ

623   
  みるめなき  我が身を浦と  知らねばや  かれなで海人の  足たゆくくる
遠鏡
  海松メノ無イ浦ヂヤト云フコトヲシラズニ  海士ガミルメヲ刈ウト思フテヒタモノ来ルヤウニ  アノ御人ハワシガ身ヲ  ドウモ逢レヌ身ヂヤトハ  知ラシヤラヌカシテ  一夜モカヽサズニ足ノダルイニ  毎夜/\逢ウト思フテ見エル  トテモアハレハセヌノニサ
初ニ句の意。むかしより説得たる人なし。是は春かけてなけどもいまだ雪はふりつゝといへる類にて。詞を下上に打かへして心得べき格也。我身を見るめなき浦としらねばやといふことなり。見るめなき浦とは逢かたき身をいふ意也。浦はたゞ見るめによれる詞のみ也。されば我身をうらむとも。うしともいひかけたるにはあらず。さて後にわが身のうらとよめる歌多きは。この歌の詞によれるものなり。

624   
  あはずして  今宵明けなば  春の日の  長くや人を  つらしと思はむ
遠鏡
  今夜ハゼヒトモドウアツテモト思フタニ  又トウ/\エアハズニアカスヂヤサウナ  今夜アハイデハモウ逢ウベキ時節ハナイニ  此トホリデエアハズニ夜ガアケタナラ  春ノ此ノ日ノ長イノニ  シンキニ思ヒクラシテ  イツマデモツライ人ヤ/\ト思フテ  一生ヲタテルデガナアラウ

625   
  有明の  つれなく見えし  別れより  暁ばかり  憂きものはなし
遠鏡
  マヘカタ女ト暁ニ別レタトキニ  有明ノ月ヲ見タレバ  シキリニアハレヲモヨホシテ  アヽヽアノ月ハ夜ノアケルノモシラヌカホデ  アノヤウニヂツトユルリトシテアルニ  オレハ夜ガアケレバ  カヘラネバナラヌコトトテ  ノコリ多イトコロヲ別レルコトカヤト  身ニシミ/゛\ト思ハレタガ  其ノ時カラシテ  ヨニ暁ホドウイツライモノハナイヤウニ思フ
余材。上句を。あはずしてかへる意とせるは。歌の入りどころになづめるひがこと也。顕注の如く。逢ひてわかれたる也。然るをこゝに入れたるは。ふとところをあやまれるなり。六帖もこの集によりてあやまれり。

余材
  顕注云これは女のもとより帰るにわれは明ぬとて出るに有明の月はあくるもしらてつれなく見えし也其時より暁はうくおほゆとよめりたゝ女に別れしより暁はうき心なり定家卿密勘に云つれなく見えし此心にこそ侍らめ此ことはのつゝきは及はすえんにおかしくもよみて侍る哉これほとの歌ひとつよみ出たらん此世の思出に侍るへしとかけりかゝれは顕昭の説しかるへしと定家卿も思ひ給へり然れとも此歌はあはすして明たる歌ともの中にはさまれて侍り六帖にも来れとあはすといふ題の所にこの歌を出せりつれなく見えしの心は顕注のことく月の貌の明るもしらぬ心にしてそれにあはすしてかへす人のつれなき体を相兼てよめる歌なるへし...

626   
  あふことの  なぎさにしよる  浪なれば  うらみてのみぞ  立ち返りける
遠鏡
  浦ノ磯バタヘヨツテケル浪ノ  ヂキニ引テ沖ノ方ヘカヘルヤウニ  逢コトモナイ人ノ所ヘイクワシナレバ  イツデモソノ人ヲ恨ンデバツカリサカヘルワイ

627   
  かねてより  風に先立つ  浪なれや  あふことなきに  まだき立つらむ
遠鏡
  マダ逢フタコトモナイサキカラ  早ウ名ノタツノハ  云テ見ヤウナラ浪ハ風ガ吹クニヨツテタツモノヂヤニ  マダ風ノフカヌサキニ  マヘカタカラ  ナギニ浪ノ立ツヤウナ物カシラヌ  ナゼコノヤウニマダ早ウカラ名ノタツコトヤラ

628   
  陸奥に  ありと言ふなる  名取川  なき名とりては  くるしかりけり
遠鏡
  ナイコトヲ云ヒ立テテ  名ヲタテラレテハ  メイワクナコトヂヤワイ

629   
  あやなくて  まだきなき名の  竜田川  渡らでやまむ  ものならなくに
遠鏡
  マダ早ウカラ此ノヤウニ名ノタツハ  ワケノタヽヌコトヂヤトテモカウ名ガタツタカラニハ  ドウシテナリトモ  逢ズニオカウモノデハナイ

630   
  人はいさ  我はなき名の  惜しければ  昔も今も  知らずとを言はむ
遠鏡
  人ハドウアルカ  ワシハナイコトヲ云タテラレル名ガ惜ケレバ  マヘ方モ今モソンナコトハシリマセヌト云ハウ

631   
  こりずまに  またもなき名は  立ちぬべし  人にくからぬ  世にしすまへば
遠鏡
  マヘカタモナイコトヲ  云ヒ立ラレテ  メイワクシタコトガアツタガ  ソレニコリモセズニ又ドウヤラ  名ヲタテラレウヤウニ思ハレル  世ノ中ノナラヒデニクウナイ人ガアルデサ

632   
  人知れぬ  我がかよひぢの  関守は  よひよひごとに  うちも寝ななむ
遠鏡
  人ニシラサヌオレガ通ヒミチノ関所ノ番ハドウゾ毎夜/\ヨヒ/\ニチヨツトナリトモネムツテクレカシ  ソシタラソノ間ニハイラウニ

633   
  しのぶれど  恋しき時は  あしひきの  山より月の  いでてこそくれ
遠鏡
  ズイブンカクシシノブケレドモ  キツウ恋シイトキニハ  エコラズニ  月ガ出テヨウ見エルノニ  此ノヤウニ出テサクルワイ
又三四の句は。たゞ出ての序のみともすべし。

634   
  恋ひ恋ひて  まれに今宵ぞ  あふ坂の  ゆふつけ鳥は  鳴かずもあらなむ
遠鏡
  ハラ一ハイ恋/\テ  タマ/\コヨヒ始メテサ逢フタニ  ドウゾ今夜ハ庭鳥ハマアナイテクレネバヨイガ  鳥ガナケバオキテ別レネバナラヌニ

635   
  秋の夜も  名のみなりけり  あふと言へば  ことぞともなく  明けぬるものを
遠鏡
  秋ノ夜ヲ長イモノヂヤト云モ名バカリヂヤワイ  タマ/\恋シイ人ニアウ夜トイヘバ  コレガカウト云コトモナシニ  ツイ早ウ明タモノヲナンノ秋ノ夜ガ長カラウゾ

636   
  長しとも  思ひぞはてぬ  昔より  あふ人からの  秋の夜なれば
遠鏡
  秋ノ夜ハ一ツタイ長イモノヂヤケレドモ  アウ人ニヨツテ  秋ノ夜デモミジカウオボエル物ヂヤト  昔カラモ云トホリデ  此ノ節ハ秋ノ夜ノ長イ時分ナレドモ  スイタ人ニ逢フタ夜ヂヤニヨツテ  長イトモサドウモ思ヒキハメラレヌ

637   
  しののめの  ほがらほがらと  明けゆけば  おのがきぬぎぬ  なるぞかなしき
遠鏡
  目ガサメテ  夜ガクワラリツト明テクレバ  一ツニナツテネテ居タ二人ノキルモノガ  別々ニナツテ  ワカレルガサカナシイ
余材。きぬ/゛\の説。いさゝかたがへり。面々とりきるを。きぬぎぬとはいはず。
(千秋云。結句。顕注本に。きるぞかなしきとあるぞ。よろしかるべき。なるぞは。おだやかならず聞ゆ。密勘に。又書写のあやまりにやとのたまへるは。きるぞのことか。なるぞのことか。)

余材
  ...おのかきぬ/\なるそかなしきとは今は明ぬとてぬきおける面々のきぬをとりきるをきぬ/\といへり...

638   
  明けぬとて  いまはの心  つくからに  など言ひ知らぬ  思ひそふらむ
遠鏡
  夜ガアケタト云テ  サアモウ別レルヂヤト思フ心ガツクカラシテ  ナゼニ此ノヤウニ  イフニイハレヌ思ヒガソフコトヂヤヤラ

639   
  明けぬとて  かへる道には  こきたれて  雨も涙も  降りそほちつつ
遠鏡
  此ノヤウニ雨ガツヨウフルノニ  夜ガ明タト云テ  別レテ帰ル道デハ  涙モ雨ト同ジヤウニモノヲコキオロスヤウニ  ヒタ/\ト落テ  イヨ/\ヒツタリトヌレテ  サテモ/\カナシイナンギナコトカナ

640   
  しののめの  別れを惜しみ  我ぞまづ  鳥より先に  なきはじめつる
遠鏡
  目ガサメテ別レルガナゴリヲシサニ  鶏ヨリサキヘワシガサマヅ泣キハジメタ

641   
  郭公  夢かうつつか  朝露の  おきて別れし  暁の声
遠鏡
  オキテ別レタ暁ニ今マ鳴イタ郭公ノ声ハ  聞テモ夢ヂヤカウツヽヂヤカ  オボエヌ  心ガ乱レテアルニヨツテサ
打聞よろし。よざいわろし

余材
  おきわかれし人の物いひし声のかなしくもおかしくも聞えしを時鳥によそへて夢かうつゝかとなこりをしたひてたとる心なり別の時分の事は下にあかつきとあれは朝露はおきてといはんためはかりなり

打聴
  是はたゞ別るゝ時に郭公の鳴を聞てよめる成べしその人の声に郭公をよそへてしたひたる心也と云説はわろし朝霧はおきてといはんとて也

642   
  玉くしげ  あけば君が名  立ちぬべみ  夜深くこしを  人見けむかも
遠鏡
  夜ガ明テカラカヘツタナラ  人ガ見テ  君ガ名ガタヽウト思フテマダ夜ノ深イウチニ別レテキタガ  ソレデモモシ人ガ見ハセナンダカシラヌ

643   
  今朝はしも  おきけむ方も  知らざりつ  思ひいづるぞ  消えてかなしき
遠鏡
  ケサハマア  別レニ心ガ乱レテ  ドウシテ起テキタヤラ  ネカラオボエナンダガ  其ノ事ヲ思ヒダシテ  今サキエルヤウニカナシイ
打聞日影の説あれどさまではあらじ

打聴
  けさはにてしもは助語なるを朝霜のおくにいひかけてさて起来りけん方も知ざりつるが帰り来ては思ひ出るに消かへるばかり悲しきと云て思ひのひを日に取なして日影に霜のきゆるをかけたり

644   
  寝ぬる夜の  夢をはかなみ  まどろめば  いやはかなにも  なりまさるかな
遠鏡
  ユフベ逢テ寝タノハ  ドウデアツタヤラ  夢ノヤウデアマリハカナサニ  セメテハホンノ夢ニナリトモ  マイチド見ヤウト存ジテ  眠ツテミレドネラレモ致サネバ  夢ニサヘエ見イデ  サテモ/\イヨ/\ハカナイコトニナリマサルコトカナ

645   
  君やこし  我や行きけむ  思ほえず  夢かうつつか  寝てかさめてか
遠鏡
  夕ベノ事ハオマヘガワシガ方ヘ御出ナサツタデアツタヤラ  ワシガオマヘノ方ヘ参ツタデアツタヤラ  又夢デアツタカ  ホンマノコトデアツタカ眠ツタ内デアツタカ  目ノサメテ居ルウチノコトデアツタカ  ドウデアツタヤラワシヤネカラ覚エマセヌ  オマエハドウヂヤイナ

646   
  かきくらす  心の闇に  惑ひにき  夢うつつとは  世人さだめよ
遠鏡
  サイナユベノコトハ  イツソ心ガクラカツテ  闇ノ夜ニ道ヲイクヤウデ  ドウデアツタヤラ  ワシモサ一向オボエマセヌ  夢デアツタホンマデアツタト云コトハ  世間ノ人定メテクレイ

647   
  むばたまの  闇のうつつは  さだかなる  夢にいくらも  まさらざりけり
遠鏡
  闇イノニ  チヨツト逢タノハ  ホンマノコトデモ  タシカナ夢ニ何ホドモマサツタコトハナイワイ  夢ニ見タト同ジクラヰノコトデアツタ

648   
  小夜ふけて  天の門渡る  月影に  あかずも君を  あひ見つるかな
遠鏡
  君ニ逢フテサテモ/\マア/\ノコリオホカツタコトカナ
三の句のは。ゝあやまりにて。上句はあかずの序なるべし。萬葉に例多し。

649   
  君が名も  我が名も立てじ  難波なる  みつとも言ふな  あひきとも言はじ
遠鏡
  ドウゾオマヘノ名モワシガ名モタヽヌヤウニセウ  ワシニ逢タトオマヘモイハシヤルナ  ワシモオマヘニ逢タト云マイホドニ
あひきは難波の縁に。網引にいひよせたるなり。

650   
  名取川  瀬ぜのむもれ木  あらはれば  いかにせむとか  あひ見そめけむ
遠鏡
  世間ヘシレテ名ガタツタラ  ドウセウト思フテ  逢ヒソメタコトヤラ

651   
  吉野川  水の心は  はやくとも  滝の音には  立てじとぞ思ふ
遠鏡
  吉野川ノ水ノ早イヤウニ  心ニハヤルセナウ思フトモ  瀧ノヤウニ音ニハタテマイトサワシヤ思フ

652   
  恋しくは  したにを思へ  紫の  ねずりの衣  色にいづなゆめ
遠鏡
  恋シウ思フナラ心ノ内デ思フテ居タガヨイゾ  色ニダスデハナイゾ  カナラズ/\

653   
  花薄  穂にいでて恋ひば  名を惜しみ  下ゆふ紐の  むすぼほれつつ
遠鏡
  アラハシテ思フタナラ  名ガタツデアラウト  ソレガヲシサニ  心ノ内デバツカリ思フテ  ムシヤクシヤトシテ  サテモ/\苦シイ恋ヲスルコトヂヤ
打聞。下ゆふ紐の説俗(さとび)たり

打聴
  ...下ゆふ紐は下に着る一重の肌着の紐也下紐と云も同じ事也

654   
  おもふどち  ひとりひとりが  恋ひ死なば  誰によそへて  藤衣着む
遠鏡
  カウ思ヒアフタドウシノ内ニオマヘカワシカドチラゾ  一人ガ若シヒヨツト恋死ンダナラ  服ヲ着ヤウナレド  表ハレタ夫婦デナケレバ  服ハキニクイヂヤガ  親類ノ内ニ誰ガ死ンダニヨツテキルト云テ  服ハキタモノデアラウゾ
余材。ひとり/\を我事にとれるはわろし。打聞よろし。すべてひとり/\といふは。みな俗言[さとびごと]にどちらぞひとりといふ意なり。

余材
  ひとり/\とはあまたの人あらんやうなれと只独にてわか事なり  竹取物語にかうのみいましつゝのたまふ事を思ひさためてひとり/\にあひ給へやといへは云々これかくや姫におもひかくる人五人有を其中におもひさためてひとりにあへといふ事をいへり  大和物語に芦屋のうなひをとめか事をかける所にうはらをとことちとぬをとこか事をいふにひとり/\にあひなは今ひとりか思ひはたえなんといふに云々これもふたりの中にひとりにあはゝ今ひとりかおなしやうに思ひし思ひはたえはてゝ其まゝにては堪忍せしといふなりしかれは君と思ふとちなるわか人めを忍ふほとに恋しなは君は誰によそへてか藤衣はきんするそとなり...

打聴
  思ふ共[ドチ]は男と我とを云其中に誰そひとりが恋死せばかたみにしのぶ中には誰人によそへてか藤衣は着んと也おもひあまりての歌也

655   
  泣き恋ふる  涙に袖の  そほちなば  脱ぎかへがてら  夜こそはきめ
遠鏡
  ナルホドソンナ物ヂヤ  モシワシデモソナタデモドチラゾ恋死ンダ時ニハカナシウテ泣テ恋シタウ涙デ  定メテ袖ガキツウヌレルデアラウ  ソシタラヌレタヲヌギカヘガテラニ  夜ルサ服ヲバ着ヤウハサテ  夜ルナライカウタレモ知ルマイホドニ

656   
  うつつには  さもこそあらめ  夢にさへ  人目をもると  見るがわびしさ
遠鏡
  ホンマニハサウモアリソナモノヂヤガ  夢ニマデ人目ヲハヾカルヤウニ見ルコトノナンギサワイノ

657   
  かぎりなき  思ひのままに  夜も来む  夢ぢをさへに  人はとがめじ
遠鏡
  カギリモナイホド思フコノ心ニマカセテ  セメテ夢ニナリトモセイダシテ行テ逢ハウ  ホンマニ通フハカクベツノコト  夢ニ通フ道マデヲ  人ハ見トガメハスマイホドニ
よるもは夢になりともの意なり下に夢路といへる故に。詞をかへてゆるとはいへり。こんゆかんの意也。この例つねにおほし。

658   
  夢ぢには  足も休めず  かよへども  うつつにひと目  見しごとはあらず
遠鏡
  夢ニハ足モヤスメズニ  毎夜セイダシテ通フテ  タビ/\逢フト見ルケレドモ  ソレデモイツゾヤ  チヨツトホンマニ逢タヤウニハナイ  アヽヽ夢ハヤクニタヽヌモノヂヤ

659   
  思へども  人目つつみの  高ければ  川と見ながら  えこそ渡らね
遠鏡
  恋シウ思フ人ヲ見テハ  アヽアレハト思ヒナガラモ  人目ヲツヽム心ガイツハイヂヤニヨツテ  ドウモヨウサアハヌワイ
四の句。かれはといふことを。川にいひよせたり。

660   
  たぎつ瀬の  はやき心を  何しかも  人目つつみの  せきとどむらむ
遠鏡
  早イ川瀬ノヤウニ  ヤルセモナウ思フ心ヂヤモノヲ  ドウ云コトデマア  堤デ川ノ水ヲセキトメルヤウニ  人目ヲツヽンデ  此ノヤウニコラヘ忍ンデクルシイメヲスルコトヤラ

661   
  紅の  色にはいでじ  隠れ沼の  下にかよひて  恋は死ぬとも
遠鏡
  此ノヤウニ心ノ内デバツカリ思フテ居テ  タトヒ恋死ヌルト云テモ色ニハダスマイ
余材打聞ともに。下に通ひてを。たがひの心といへるは。わろし。かよひとは。たゞ沼水の縁の詞にていへるのみにて。歌の意はたゞ下に思ふことなり。

余材
  下に通ひては互の心の下に通ふなり恋はしぬともは人めにさはりてなり...

打聴
  ...下にかよひてはたがひの心の下にかよふ也...

662   
  冬の池に  すむにほ鳥の  つれもなく  そこにかよふと  人に知らすな
遠鏡
  其所ノ家ヘワシガ通フト云コトヲ人ニシラスデハナイゾ
余材。つれもなくの注わろし。上の句は序にて。四の句のそこは。序よりは。底とつゞきたり。つれもなくは。氷の下をかよふ。故に。上へはさも見えぬよしなり。此詞は序のうへのことのみにて。歌の意にはあづからず。
>> 「其所」に「ソコ」と振ってある。

余材
  ...つれもなくとはにほ鳥の氷のゐる比まて池にかつくによせて心なかくしのひてかよふをいへり底に彼所(そこ)をかねたり...

663   
  笹の葉に  置く初霜の  夜を寒み  しみはつくとも  色にいでめや
遠鏡
  笹ノ葉ヘフツタ霜ガ  夜ノ寒サニ  シミツクヤウニ  ワシガ恋心モ  シミツクヤウニハ思フト云テモ  色ニダサウカイ  ドノヤウニアツテモ色ニハダスコトデハナイ

664   
  山しなの  音羽の山の  音にだに  人の知るべく  我が恋めかも
遠鏡
  ナンボ恋シウ思ウトテモ  音ニモ人ノシルヤウナフリヲセウカ  マア  ソノキヅカヒハナイゾイナ

665   
  みつ潮の  流れひるまを  あひがたみ  みるめのうらに  よるをこそ待て
遠鏡
  昼ノ間タガ逢ガタサニ  夜ルヲサワシハ待ツワイ

666   
  白川の  知らずともいはじ  底清み  流れて世よに  すまむと思へば
遠鏡
  人ガ問フタラ  シラヌトモイハウナレドサウハ云マイ  オレヤ真実ナ心底ヂヤカラハ  イツマデモ末長ウツレソハウト思フ料簡ナレバサ  スレヤソノヤウニナニモ人ニカクスコトデハナイワサテ

667   
  下にのみ  恋ふれば苦し  玉の緒の  絶えて乱れむ  人なとがめそ
遠鏡
  ナイセウデバツカリ思フテ居レバキツウジユツナイニモウワシモイツソウチダシテ  ミダレウ  ソシタラ人ノ目ニカヽルデアラウカ  必ズタレモトガメテ  下サルナヤ

668   
  我が恋を  しのびかねては  あしひきの  山橘の  色にいでぬべし
遠鏡
  ワシガ此思ヒヲ  今マデハマアドウヤラカウヤラ忍ビカクシテ居ルガ  コレカラモウドウモコタヘラレヌヤウニナツタナラバ  色ニデヽ人ノ目ニモカヽルヤウニナルデアラウト思ハレル

669   
  おほかたは  我が名もみなと  こぎいでなむ  世をうみべたに  みるめすくなし
遠鏡
  磯バタハ海松メガスクナサニ  舟ヲ湊カラ沖ヘズツトコギ出シテ  存分ニミルメヲ刈ルヤウニ  ワシガ中モ  大ガイナコトナラ  モウ名ノ立ツコトニカマハズニ  世間ヘハツトウチ出シテシマハウ  隠シ忍ブ中ハ  思フヤウニ度々モアハレヌガ  イカニシテモウイコトヂヤホドニ
余材打聞。よをうみの説わろし。世は男女の中をいへるにて。忍ぶ中をうく思ふよしなり。又余材船の名のさだ用なし。

余材
  六帖には下の句を人を見るめもおきにこそかれと載たり...今の下句定家卿も世をうみ辺だにと心得ておはしけるに顕昭日本紀に海浜とかきてうみべたとよめる事なと引て釈せられたるを甘心して於此説者もとより思ひよらす尤可信仰但おかしからん女なとのうみへたにと詠出たらんはくちをしくやとかき給へり...よの人のものいひさかなきをうみて磯かくれたる舟のやうに忍ひをれは中々人をみるめのすくなきにみなとよりおきをさしてこき出る舟のことく我名をも公界にあらはしてこひて人を見るめをやすくからんとなり六帖の下句を思ふへし舟には名を付る物なれは我名もとそへていへり萬葉第十一に
  あちかまの塩津をさしてこく舟の 名はいひてしをあはさらめやも
又十六に沖津島かもといふ舟ともよめり  応神紀には枯野と名付給へる御舟有  続日本紀には高麗へつかはさるゝ使の乗れる舟を能登と名付たる例有...

打聴
  是は世の人の物いひさがなきを倦て磯がくれたる船のさまに忍びをれば中々人を見るめの少なきによりて水門[ミナト]より沖へ漕出る船の如く我名をもおほやけにあらはして人の見るめをやすからんと也海べたは上にいへり

670   
  枕より  また知る人も  なき恋を  涙せきあへず  もらしつるかな
遠鏡
  ワシガ恋ヲバ  枕ハトウカラモ知ツテヰタコトモアラウガ  枕ヨリ外ニハ又ト知ル人モナカツタニ  涙ヲドウモエセキトメイデ  ツイトリハヅシテモラシテノケタワイ  サテモ/\ツライコトヲシタコトカナ

671   
  風吹けば  浪うつ岸の  松なれや  ねにあらはれて  泣きぬべらなり
遠鏡
  風ガ吹テ浪ノウチヨセル岸ノ松ハ根ガアラハレルモノヂヤガ  ワシガ恋モソンナモノカシテ  ドウヤラネニアラハレテ泣キサウニ思ハルヽ  ドウモコタヘラレネバサ  カウ云フタバカリデハ  聞エマイガ  声ヲアゲテ泣クコトヲ歌デハネニ顕レルト云ニヨツテサ

672   
  池にすむ  名ををし鳥の  水を浅み  かくるとすれど  あらはれにけり
遠鏡
  池ニ住デアル鴛ノ  底ヘカクレルト思ヘド  水ガ浅サニ  アラハレテ見エルヤウニワシガ恋モ  ウキ名ノタツヲ惜ウ思フテ  随分トカクシ忍ブヤウニスルケレド  ゼヒモナイコトハ人ガ知タワイ

673   
  あふことは  玉の緒ばかり  名の立つは  吉野の川の  たぎつ瀬のごと
遠鏡
  玉ヲツナグ緒ハズンド細イヒヨワイワヅカナ物ヂヤガ  ワシガ中モ逢フコトハテウドソノ玉ノ緒グラヰノワヅカナコトデ  ソシテ名ノタツコトハ吉野川ノ瀧ノ音ノ高イグラヰデ  ソレハ/\ヤカマシイコトヂヤワイノ

674   
  むら鳥の  立ちにし我が名  いまさらに  ことなしぶとも  しるしあらめや
遠鏡
  一トタビ立ツ名ハ  モウドウモゼヒガナイ  今サラワシヤソンナコトハナイト云ヒワケシタトテモ  ヤクニタヽウカイ  ナンノヤクニタヽヌコトヂヤ
ことなしふの注。打聞よろし。余材わろし。

余材
  ...ことなしふとはことなしいふなり志(し)のひゝきに伊あれはそれにもたせたり又たゝいふの上略ともいふへしこともなしけにいひなすなり...

打聴
  群鳥はたつ時にいとさわがしきをたとへたりさるは世の人に云ひさわがれたる成べしことなしぶとはことなしぶりにて事も無げに云なす也後撰にをとこの物にまかりて二とせばかりありてまうで来りけるをほど経て後にことなしびにこと人に名の立と聞しはまこと也といへりければ云々。源氏物語総角の巻にことなしびに書給へるがをかしう見えければ是らもことなしぶりの意也

675   
  君により  我が名は花に  春霞  野にも山にも  立ち満ちにけり
遠鏡
  君ユヱニワシガウキ名ハテウド野ヤ山ノ花ニ霞ガイチメンニタツヤウニドコカラドコマデ  知ラヌ人モナイヤウニナツタワイノ  花ニ霞ノタツハツライモノヂヤガ  ウキ名ノ立ツタモ同ジコトデサテモツライコトヂヤ
花にといへる意の説。余材打聞ともにわろし。

余材
  ...霞はいつくにもたつを花にとしもいへるは人を花によそへ又は歌のにほひにいへるなり

打聴
  六帖に君が名も吾名もおなじとて霞の歌に入たりさていづくにもたつ霞を花といへるは詞のあやながら其人をよそへたる也...

676   
  知ると言へば  枕だにせで  寝しものを  塵ならぬ名の  空に立つらむ
遠鏡
  ナンボカクス恋デモ  枕ハヨウ知ルト云コトヂヤニヨツテ  ワシヤ枕サヘセズニ  寝タモノヲ  誰ガマア知テ  ウキ名ガハツト高ウ立ツタコトヂヤヤラ  塵コソ空ヘハツトタツモノナレ  塵デモナイウキ名ガサマア

( 2004/02/23 )   
 
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