Top  > 古今和歌集の部屋  > 本居宣長「遠鏡」篇  > 巻十五 恋歌五

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747   
  月やあらぬ  春や昔の  春ならぬ  我が身ひとつは  もとの身にして
遠鏡
  今夜コヽヘ来テ居テ見レバ  月ガモトノ去年ノ月デハナイカサア  月ハヤツハリ去年ノトホリノ月ヂヤ  春ノケシキガモトノ去年ノ春ノケシキデハナイカサア  春ノケシキモ梅ノ花サイタヤウスナドモ  ヤツハリモトノ去年ノトホリデ  ソウタイナンニモ  去年トチガウタコトハナイニ  タヾオレガ身一ツバツカリハ  去年ノマヽノ身デアリナガラ  去年逢タ人ニアハレイデ  其ノ時トハ大キニチガウタコトワイノ  サテモ/\去年ノ春ガ恋シイ
二つのやはの意なり。さて結句の下へ。もとのやうにもあらぬことかな。といふ意をふくめたり。怨ふくめたることは。月やはあらぬ春やはあらぬ。月も春も。もとのまゝなるにといへる。上の句にて聞えたり。すべてこの朝臣の歌は。心あまりて詞たらずといふは。かゝるところなり。余材打聞ともにわろし。かの説どものごとくにては。してとゝぢめたる語のいきほひにかなはず。よく/\語のいきほひをあぢはひて。心得べき歌ぞかし。

余材
  風体抄に月やあらぬといひ春やむかしのなとつゝける程のかきりなくめてたき也といへり月やはこそのよりもとの身にしてと也まて後に改られたりおほろ月夜梅の花さかりをはしめてこそにかはる事なきに月も春もこその物ともほえねはたゝ月やこその月にあらぬ春やこそのはるにあらぬこそ人にあひたてまつりし時のみこひしくわすられぬ我身ひとつはもとの身にしてと下句より上句へかへりてきはめてとかめておくへしある抄に下句を注して我身一つも又もとの身なるに何事そさもおほえぬはとなりと云るはいまたひとつはといへるは心をえぬ也月やこその月にあらぬと見るにおほろ月夜の面白さもこそにかはらす春やこその春にあらぬとみるに梅の花さかりをはしめて又こそにかはる事なしたゝわか身ひとつはうかりしもとの身にしてと也伊勢物語にあり所はきけと人のゆきかよふへき所にもあらさりけれはなほうしとおもひつゝなんありけるといへる時をさして其時のまゝの身といへりとそあひみし時にくらへてもとの身といへるには非す実には其時のこゝろになりてよく/\味ふへし...

打聴
  月もかつ見ながら昔の月に非ざるかとおほえ梅も且見ながら去年見し花にはあらぬかとおもはるさらば我身はいかにと思ひめぐらすに我のみ故[モト]のまゝにてこゝに来[キタ]るはと云也去年に似ぬと思ふ月と花とにむかへて我身一つはと云はのてにはにてことわれりさていかに月花のけしきのかはれるこゝちするにやと尋るに思ふ人のこゝにあらで物がなしき情[コヽロ]よりしか見ゆると也

748   
  花薄  我こそ下に  思ひしか  穂にいでて人に  結ばれにけり
遠鏡
  内々我コソ逢ハウト思フテ其心デ居タニ  ソレデマア  我ガオモイレハムダゴトニナツテ  此ノ花薄ノ穂ニデタノヲ  結ンダヤウニ  オモハレテ外ノ人ガトリクンデ逢テシマウタワイ  ハレ残念ナコトヤ
花すゝきをむすぶと。伊勢家集此の歌のはしの詞に見えて。余材抄に引り。

余材
  伊勢集にはニ三句我こそふかくたのみしかとありてこと書に云此をとこのあになるをとこありける今はあの人はよにもとはしなにかたのみ給ふ我をおもへなとせちにいへと文はかりは見つゝもさらにあはてありけりかくいふけしきもとの人は知たりけり女さとに出て秋せんさいなとのおかしかりけるをはなをなんてすさひにむすひたりけるこのつらかりし人の来りてよみたりける云々これにてよくきこえたり六帖には腰句伊勢集と同しむすはれにけりは日本紀に約の字をむすふとよみたれは下に思ひし我はかひなくてあらはれて人に約束したりとねたみてよめる也人とは兄の時平公也薄は高き草なれは下にとそへたりもしは萬葉に「道のへの尾花かもとの思ひ草今さら何のものかおもはん  とよめる歌によりて此思ひ草によせて下におもひしかとよまれたるか

749   
  よそにのみ  聞かましものを  音羽川  渡るとなしに  見なれそめけむ
遠鏡
  タヾヨソニバカリ聞テ居ヤウデアツタモノヲ  アウデモナシニ  ナニシニ此ヤウニナレソメタコトヤラ  ナマジゲニナレナジンデ  ソシテ逢レヌノハ  サテ/\ツライモノヂヤ

750   
  我がごとく  我を思はむ  人もがな  さてもや憂きと  世をこころみむ
遠鏡
  サテ/\ウイコトヤ  オレハコレホド人ヲ深ウ思フニ  人ハトカクソレホドニ思フテクレヌ  オレガ思フトホリニオレヲ思フテクレル人ガアレカシ  ソレデモヤツハリ此ノヤウニウイモノカ  タメシテ見ヤウニ
世は。男女の中をいふ世なり。
(千秋云。世といへる詞の訳なきは。一首の訳のうちに。そのこゝろはあればなるべし。)

751   
  久方の  天つ空にも  すまなくに  人はよそにぞ  思ふべらなる
遠鏡
  天ニ住デ居ルワシデモナイニ  ドウシタコトカ  人ハワシヲトホヨソニサ思フヤウスニオモハルヽ

752   
  見てもまた  またも見まくの  ほしければ  なるるを人は  いとふべらなり
遠鏡
  オレハ逢テモ/\ヤツハリ又々アヒタウ思フニ  人ハ段々ナレルノヲイヤガルヤウスニ見エル
見まくほしければは。見まくのほしきにといふ意なり。古き歌にはこの格おほし。

753   
  雲もなく  なぎたる朝の  我なれや  いとはれてのみ  世をばへぬらむ
遠鏡
  雲モナウテ風モナイデアル朝ノ空ハヨウ晴テアルモノヂヤガ  オレハソノヤウナモノヂヤヤラ  人ニイトヒキラハレテバツカリ  一生ヲタテル  カウタトヘテイフワケハ  甚晴ト被厭ト詞ガ同ジコトヂヤニヨツテサ  歌ト云モノハ  アヂナコトヲヨムモノヂヤナイカイノ
>> 「甚晴」と「被厭」はどちらも「イトハレ」と振られている。

754   
  花がたみ  目ならぶ人の  あまたあれば  忘られぬらむ  数ならぬ身は
遠鏡
  ホカニイクタリエヽヨイノガアルナレバ  ワシガヤウナ人カズデモナイ身ハワスレラレタデアラウ

755   
  うきめのみ  おひて流るる  浦なれば  かりにのみこそ  海人は寄るらめ
遠鏡
  ナニヽツケテモ  ウイコトバツカリデ泣テクラスワシナレバ  思フ人ノタマ/\ニミエルノモ  タヾカリソメニ  口フザケニ  チヨツト立ヨラルヽバカリノコトデコソアラウケレ  マコトノ心ザシデ見エルトハ思ハレヌ

756   
  あひにあひて  物思ふころの  我が袖に  宿る月さへ  濡るるかほなる
遠鏡
  此ノヤウニモノ思ヒヲシテ涙デ袖ノヌレテアル時節ジヤトテ  此ノ袖ヘウツヽタ月ノカホマデガ  ワシガ顔ト同ジヤウニ  ヨウソロウテヌレテ見エルコトワイノ
あひにあひての説。余材わろし。打聞もときをへず。すべてこの詞は。これとかれと。よくあひかなひて。同じやうなる意なり。

余材
  ...あひにあひてとは物思ふ我に対して涙にやとる詞をいへりぬるゝかほなるはしらすかほなといふことくぬれかほといふ心をわかかほのぬるゝにかけて袖にやとかる月さへぬれかほに見ゆるといへる也涙といはねとよし...

打聴
  相に逢て袖と月とたがひにぬるゝと也涙といはでもぬるゝといひ袖といへば聞ゆ濡るがほはぬるゝかたちと云也濡るが如しと云に同じ

757   
  秋ならで  置く白露は  寝ざめする  我が手枕の  しづくなりけり
遠鏡
  露ハ秋ヨウオクモノヂヤガ  秋デナシニオク露ガアル  ソレハ  物思フテ夜半ニ目ヲサマシテ居ルワシガ枕カラ床ヘオチル涙ノ雫ヂヤワイ

758   
  須磨の海人の  塩やき衣  をさをあらみ  まどほにあれや  君がきまさぬ
遠鏡
  道ノアヒダガ遠イユヱカシテ  マテドモ/\マダ御出ナサラヌ  アヽオソイコトヂヤ
上句ノ意余材のごとし
(千秋云。四の句の訳。まどほなる故にや。という意にとられたる也。まことにこの歌。その意にあらざれば。よろしからず。)

余材
  ...塩やきのきる藤衣はをさのあらくて糸のすくなけれはそのまとほなるによせて君か住さとゝ我住宿とその道のほとまとほにあれはにや君かきまさぬと遠からねとこぬを恨ていへり...

759   
  山しろの  淀のわかごも  かりにだに  来ぬ人たのむ  我ぞはかなき
遠鏡
  セメテカリソメニチヨツトサヘ来テクレヌ人ヲ頼ミニ思フテ居ル ワシハサ  アヽラチノアカヌ心ヂヤ

760   
  あひ見ねば  恋こそまされ  みなせ川  何に深めて  思ひそめけむ
遠鏡
  ワシガ中ハ  水ノナイト云水無瀬川ノヤウナモノデ  逢コトガナケレバ  タヾ恋シイコトコソマサレ  水ノマサツテ深イヤウナコトハナイ中ヂヤニ  ナニシニ末カケテ深ウワシハ思ヒソメタコトヤラ

761   
  暁の  しぎの羽がき  ももはがき  君が来ぬ夜は  我ぞ数かく
遠鏡
  暁ニハ鴫ノハネガキト云テ  鴫ガキツウシゲウ羽タヽキヲスルモノヂヤガ  君ガコヌ夜ハソノ鴫ノハネガキホドシゲウ  ワシガサイク度トナシニタメ息ヲツイテナゲキマス
この歌の下の句の意。ときえたる人なし。数かくとは。たとへの鴫の百羽がきの詞によりていへるのみにて。意はたゞ歎きすることのしげきよし也。

762   
  玉かづら  今は絶ゆとや  吹く風の  音にも人の  聞こえざるらむ
遠鏡
  モウハキレテシマウトテヤラ  此コロハイツカウ  オトヅレモセヌ

763   
  我が袖に  まだき時雨の  降りぬるは  君が心に  秋や来ぬらむ
遠鏡
  マダソノ時節デモナイニ  此ノヤウニワシガ袖ヘ時雨ノフツタハ  君ガ心ニ秋ガキタカシラヌ  ソレデ此ノ袖ノヌレタハ涙ノシグレヂヤ

764   
  山の井の  浅き心も  思はぬに  影ばかりのみ  人の見ゆらむ
遠鏡
  ワシハ山ノ井ノヤウニ浅イ心デハナイニ  ドウ云コトデ君ハ  イツデモ  影バカリ見エテヨリツカシヤラヌコトヤラ
ばかりのみとは。いたづらに重なれる詞にはあらず。のみはいつとてもの意なり

765   
  忘れ草  種とらましを  あふことの  いとかくかたき  ものと知りせば
遠鏡
  此ヤウニ  キツウ逢コトノナリニクイモノヂヤト云コトヲ  トウカラシツタナラ忘草ノタネヲトツテオカウデアツタモノヲ  ソシタラソレヲ蒔テハヤシテ  コノ節恋ヲワスレルヤウニセウモノ

766   
  恋ふれども  あふ夜のなきは  忘れ草  夢ぢにさへや  おひしげるらむ
遠鏡
  ナンボ恋シフ思フテ寝テモ  夢ニモ逢ウト見ル夜ノナイハ  カノ人ガワシヲ忘レタワスレ草ガ  夢ノ道ヘマデハエシゲツタカシラヌ

767   
  夢にだに  あふことかたく  なりゆくは  我やいを寝ぬ  人や忘るる
遠鏡
  夢ニサヘアハレヌヤウニナツテキタハ  ワシガモノ思ヒテエネムラヌ故カ  マタハ君ガワシヲ忘レテ心ガカヨハヌノカ
余材わろし打聞よろし

余材
  夢にも人にあふ事かたきは我ねぬる故か人の忘れはてゝ玉しゐのかよはぬか我はぬれはこそ人にあふとてそみねあらぬ夢をは見るなれはあはぬは人のわするゝ故也けりとよめる心也下句は上の離別歌に我やわするゝ人やとはぬともよめるに似たり

打聴
  夢にも人に逢事のかたきは我寝ぬ故か又は人の忘れはてゝ玉しひのかよはぬかと也或説に逢ぬ夢をば見れどあふとは見ぬとまでいふは過たるべし下に我やいを寝ぬとあれば上の夢にだにをもやすく見るべし

768   
  もろこしも  夢に見しかば  近かりき  思はぬなかぞ  はるけかりける
遠鏡
  唐ハキツウ遠イ所ヂヤト聞テ居ルニ  ソレモ夢ニ見タレバ  近イコトデアツタカ  トカク唐ヨリモドコヨリモ遠イハ思ハヌ中デサゴザルワイ

769   
  ひとりのみ  ながめふるやの  つまなれば  人をしのぶの  草ぞおひける
遠鏡
  長雨ガフレバフルイ家ノ軒ハ  クサツテ  忍草ガハエシゲルヤウニ  タツタヒトリ物思ヒノシンキナナガメバツカリシテ月日ヲオクルワタシナレバ人ヲ恋シノブ心ノ忍草ガサ  シゲウナルワイ

770   
  我が宿は  道もなきまで  荒れにけり  つれなき人を  待つとせしまに
遠鏡
  心ツヨウテ来モセヌ人ヲ  クルカ/\ト待テ居タマニ  ツイ月日ガタツテ  コチノ庭ハ  草ガアノヤウニシゲツテ  道モナイホドニアレタワイ

771   
  今こむと  言ひて別れし  あしたより  思ひくらしの  音をのみぞ鳴く
遠鏡
  チカイウチニ又来ウト云テ別レテインダ朝カラシテ  毎日ソノ人ノコトバツカリ思ヒクラシニクラシテ  ヒグラシノ鳴クヤウニ  オレヤ  泣テバツカリサ居ル

772   
  こめやとは  思ふものから  ひぐらしの  鳴く夕暮れは  立ち待たれつつ
遠鏡
  ナンボ待ツタトテ来ウカヤ  クルコトデハナイトハ思ヒナガラモ  夕方ヒグラシノ鳴クジブンニナレバ  門口ヘ出テ立テ居テハ  モシモヤト待ツ心ガアツテ  ドウモ思ヒキツテハ居ラレヌ

773   
  今しはと  わびにしものを  ささがにの  衣にかかり  我をたのむる
遠鏡
  カウ久シウ来ヌカラニハ  モウハト思フテ  力ヲオトシテ気ヲクサラカシテ居タモノヲ  蛛ノ糸カキルモノヘカヽツテ  ドウカ又頼ミノアルヤウニ思ハセル  コノ蛛ガ  蛛ノ糸ノキルモノヘカヽルノハ  待ツ人ノクルシラセヂヤトヤラ云コトヂヤニヨツテサ

774   
  今はこじと  思ふものから  忘れつつ  待たるることの  まだもやまぬか
遠鏡
  モウクルコトハアルマイト思ヒナガラ  ソレヲワスレテハ  又シテハ  待ツ心ガマダマアヤマヌコトカナサテモ/\

775   
  月夜には  来ぬ人待たる  かきくもり  雨も降らなむ  わびつつも寝む
遠鏡
  此ヤウニサヤカナ月夜ニハ  来ヌ人ガモシヤ  来モセウカト待レテキガモメル  イツソマツクラニ曇ツテ雨ガフルトモスレバヨイニ  ソシタラツライコトヂヤト思ヒ/\モ寝テシマハウニ

776   
  植ゑていにし  秋田刈るまで  見え来ねば  今朝初雁の  音にぞなきぬる
遠鏡
  五月ノコロ  此ノ田ヲウヱテオイテ  インダ人ノ  此ヤウニモウ  ソノ田ヲ刈ルジセツニナルマデ  待ツテモ/\ワセネバ  サテモ/\ナサケナイ人カナトオモハレテ  ケサ始メテ雁ガナイタガ  ソノ雁ノヤウニサ  ワシモナイタ
>> 「ワセネバ」の意味不明。

777   
  来ぬ人を  待つ夕暮れの  秋風は  いかに吹けばか  わびしかるらむ
遠鏡
  コヌ人ヲ待テ居ルユフ方ノ秋風ハ  ドノヤウニ吹クコトデ  コレホド悲イツライコトヂヤヤラ

778   
  久しくも  なりにけるかな  住の江の  松は苦しき  ものにぞありける
遠鏡
  ワシガ思フ人ノ来テ逢フタハイツノコトデアツタヤラ  ソレカラ一向ニアハズニマア/\久シウナツタコトカナ  来モセヌ人ヲ待ツノハ  サテサテ  クルシイ物デサゴザルワイ
久しくといふ縁に。住のえの松といひ。その松を。人をまつにいひかけたるなり。

779   
  住の江の  松ほどひさに  なりぬれば  あしたづの音に  なかぬ日はなし
遠鏡
  コヌ人ヲクルカ/\ト待テ居ル間ダガ久ウナツタレバ  毎日ナカヌ日ト云ハナイ

780   
  三輪の山  いかに待ち見む  年ふとも  たづぬる人も  あらじと思へば
遠鏡
  ワタシモモウ  京ニ居テモ  オモシロウナイニヨツテ  此ノ度大和ヘ下リマスルガ  三輪ノ山本トムライキマセト古歌ニヨンデアルヤウニ  今カラアノ方デ恋シイ人ヲ待ツタトテモ  何年タツトモ  タレモ尋ネテ来テクレル人モアルマイト存ジマスレバ  ドウシテマア待チヲヽセテ  逢レマセウゾイノ

781   
  吹きまよふ  野風を寒み  秋萩の  うつりもゆくか  人の心の
遠鏡
  アチコチト  フキマヨウ野ノ風ガサムサニ  萩ノ花ノチツテユクヤウニ  ヨソヘウツヽテユクカマア
余材わろし打聞よろし

余材
  序歌なり吹まよふは吹みたす也乱の字を萬葉にまよふとよめり野風のさむく吹まよふころ秋萩の心ならすうつることく世の人のとり/\いひさわくをわひてこゝろのうつりゆくかと思ひ返してうつろふ人のつらきをゆるす心にや

打聴
  上は序にて秋はぎのうつりゆくが如く人の心もうつりもゆくかなと也

782   
  今はとて  我が身時雨に  ふりぬれば  言の葉さへに  うつろひにけり
遠鏡
  ワシガフルウナツタレバ  モウイヤト思召テ  マヘカタオツシヤツタ御約束ノ御詞マデガチガウテ参ツタワイナ
時雨はふりといひ。又ことのうつろうといはん料なり。
(千秋云。この歌はニ三一四五と。句をつゞけてこゝろうべし。)

783   
  人を思ふ  心の木の葉に  あらばこそ  風のまにまに  散りも乱れめ
遠鏡
  人ヲ思フ心ガ木ノ葉ナラバコソ  風ノフクニシタガウテ  チリミダレモセウケレ  ワシガソナタヲ思フ心ハ  木ノ葉ノ風ニチリ乱レルヤウナ  カル/゛\シイ心デハナケレバ  何事ガアツタトテモ  ナンノメツタニカハラウゾイ

784   
  天雲の  よそにも人の  なりゆくか  さすがに目には  見ゆるものから
遠鏡
  空ノ雲ハ目ニハ見エルケレドモ遠イヨソノモノヂヤガ  オマヘモチカゴロハテウドソレデ  昼ハ御出ガアツテ  サスガ目ニ見エハシナガラヨソ/\シウナツテマア  ネカラ夜ルオトマリナサツテ下サルコトハナイ  サテモ/\キコエマセヌナサレカタカナ

785   
  行きかへり  空にのみして  ふることは  我がゐる山の  風はやみなり
遠鏡
  ワシヲ雨雲ニタトヘラレタガ  ナルホドヨイタトヘヂヤ  其雲ノヤウニワシガ  イタリキタリバツカリシテ足ヲトメズニタテルノハ  其雲ノカヽツテ居ル山ノ風ガツヨサニ  トヾマツテ居ルコトノナラヌヤウナモノデ  ワシガカヽツテ居ルソナタノ心ガミヅクサヽニ  ドウモ夜ルハトマラレヌヂヤワイノ
ふるは。雨雲の縁なり。

786   
  唐衣  なれば身にこそ  まつはれめ  かけてのみやは  恋ひむと思ひし
遠鏡
  キルモノハ着ナレヽバヤハラカニナツテ  身ニヒツタリトツキマツハレル物ナレバ  ソノ通リニ人モ  ナレタナラバ  身ニシタシウコソナラウハズナレ  ソレニ馴テカラモ   ヤツハリ此ヤウニヨソ/\シウテ  ジヤウヂウ心ニカケテ恋シウ思フテバツカリ居ヤウコトトハ思ウタコトカイ  ナレナレテカラモヤツハリ此ヤウニアラウトハ思ハナンダ
かけては衣の縁也

787   
  秋風は  身をわけてしも  吹かなくに  人の心の  空になるらむ
遠鏡
  秋風ハ雲ヤ霧ナドヲ吹分ルヤウ  人ノカラダヲ分ケテ腹ノ内ヘ吹テハイルモノデモナイニ  ワシガ思フ人ノ腹ノ内ナ心ガ  風ニ木ノ葉ノ空ヘチルヤウニ  ヨソヘウツヽタハドウ云コトヤラ
上句の説。余材打聞ともにわろし。かの説どもの如くにては。身を分てといふこといたづらなり。

余材
  ...身をわけてといふに人をわけてといふ心と身ひとつにとりて身と心とをわけていふとのふたつの心有へし後撰「みをわけて霜やおくらんあた人の言の葉さへにかれもゆく哉  これは我と人とを対して身をわきてといへりこゝの歌ふたつにかよひて聞ゆ我と人とを対していはゝ秋風といふに飽心をそへたりこれは二つの心に通すなへて世の秋風は人をわきてはふかぬを心の秋風は人をわけてなとか我心は松のみとりのことくかはらぬを人のこゝろはもみちのことく空に散ゆくらんとよめるか又人の身ひとつに取ていはゝ人はもとの人にして秋風の吹につけておもかはりてみゆる事もなきをなとか心のみさそはれてこの葉のことく空にちりゆくらんとよめるか...

打聴
  秋風は我身人の身とわけてはよもふかじをなどかく君が心のひとつにはなくて空に成らんと也一本に空に散るらんと有それにつきて或説には次の歌の秋よりさきの紅葉といへるによりて思ふに空に散らんとは紅葉にそへていへるか秋風にちる物は木葉なれば其詞をすゑざれどそれと聞ゆるをば後の歌の如くきびしくはいにしへはいはざりければ此歌も其心にや身を分てと云に人をわけてと云とのニ義可有と云也

788   
  つれもなく  なりゆく人の  言の葉ぞ  秋より先の  もみぢなりける
遠鏡
  次第ニツレナウナツテユク人ノ詞ガサ  秋ヨリサキノ紅葉ヂヤワイ  ナゼトイフニマヘカタ云テオイタコトガ  サツハリカハツテシマウタワサ  木ノ葉ノ色ノヤウニ

789   
  死出の山  麓を見てぞ  かへりにし  つらき人より  まづ越えじとて
遠鏡
  サキダツテハワタシモワヅラヒマシテ  スデニ死マスデアツタガ  ツレナイオマヘヨリ先キヘワシハシデノ山ハコエマイゾト存ジテ  ソノ麓マデ参ツテ見テサ  モドツテ参リマシタ

790   
  時すぎて  枯れゆく小野の  あさぢには  今は思ひぞ  絶えずもえける
遠鏡
  秋モ過テ冬ガレニナツタ野ハ  火ヲツケテモエル物ヂヤガ  テウドソノ通リデ年ガイテオマヘノ御心ノカレ/゛\ニナツタワタシハ今デハモウジヤウヂウムネノ思ヒガサ  モエマスワイナ  ソレデ此ノ浅茅モ此ノ通リニヤケマシタ  ゴラウジテ下サリマセ

791   
  冬枯れの  野辺と我が身を  思ひせば  もえても春を  待たましものを
遠鏡
  人ニ見ステラレタワシガ身モ  冬枯ノアノ野ヂヤト思フナラ  アヽシテ焼ヤウニ  今コソ思ヒガモエルケレドモ  ソレデモ又春ニナツタナラ芽ガデルデアラウト思フテ  春ヲ待タウモノヲ  ワシハモウアノ冬枯ノ野トハチガウテ  春ニナツタトテモ芽ノデル頼ミモナイ身ヂヤワイノ  従女シウモ  スヰリヤウシテタモイノ
>> 「従女」には「ソナタ」と振ってある。

792   
  水の泡の  消えてうき身と  言ひながら  流れてなほも  たのまるるかな
遠鏡
  水ノ沫ノキエルヤウニ  キエルホドウイ我身ヂヤト思ヒナガラ  イツモカウバカリデモアルマイト  マタ末ヲ頼ミニ思フテ  ヤツハリマア消モセズニカウシテ居ルハサテ/\ラチノアカヌ我心カナ
(千秋云。ながらへてを。水の縁にてながれてとはいへり。)

793   
  みなせ川  ありて行く水  なくはこそ  つひに我が身を  絶えぬと思はめ
遠鏡
  水無瀬川ニ有ツテ流レル水ガナイナラバコソ  ワガ中ヲ  トヲ/\切テシマウタトハ思ハウコトナレ  水ノナイト云フ名ノ水無瀬川サヘヤツハリ水ハアツテ流レルナレバ  我中モ絶タヤウナレドヤツハリ縁ハアツテ  タエキリハセヌコトモアラウワサテ
四の句わが中をといふべきを。身をといへるは。少しいかゞ也。身をに。川の水脈をかねたるをや。

794   
  吉野川  よしや人こそ  つらからめ  はやく言ひてし  ことは忘れじ
遠鏡
  人ノツライハ  ハテゼヒガナイ  人コソツラカラウケレ  オレハマヘカタ云テオイタコトハイツマデモワスレマイト思フ
はやくは。吉野川の縁なり。

795   
  世の中の  人の心は  花染めの  うつろひやすき  色にぞありける
遠鏡
  世ノ中ノ人ノ心ト云フモノハ  テウド花染ノ色デ  カハリヤスイ物デサ  ゴザルワイ

796   
  心こそ  うたてにくけれ  染めざらば  うつろふことも  惜しからましや
遠鏡
  ウタテヤ  人ヲ思フコチノ心ガサ  ニクイヤツヂヤワイ  コチカラ思ハズハ  サキノ心ノカハルモ惜カラウカイ  人ノ心ノカハルガツライモ  コチカラ思フユヱヂヤワイ
色とは。いはざれども。三四の句は。色につきていへる詞なり。

797   
  色見えで  うつろふものは  世の中の  人の心の  花にぞありける
遠鏡
  草ヤ木ノ花ハ  色ガアルユヱニウツロウヂヤガ  色ハアルトモ見エズニ  ウツリカハルモノハ  世ノ中ノ人ノハナ/゛\シイ心ノ花デサ  ゴザリマスワイ
色見えでは。色のなきをいふ也。余材初ニ句の注わろし。

余材
  花といふ花はうつろふ色みえてこそうつる物なるをたゝ世の人の心の花のみうつろふ中色も見えすしてうつり行とよめりこれも世の中とひろくいへと人をさす也発句のてもしすむ説あれと心の花誰か其色を見し歌はさのみよむ事なれと濁るはすなほ也

798   
  我のみや  世をうぐひすと  なきわびむ  人の心の  花と散りなば
遠鏡
  花ノチツテシマウタヨウニ ツレソウ人ノ心ガカハツテノイテシマウタナラバ  ウイコトヤ  ツライコトヤト思フテ  相手ナシニワシヒトリ  鶯ノナクヤウニ  泣テ居ルデアラウカ
世は男女の間をいふ。打聞下句を人の心の花とともにちりなばとあるはわろし。花とは花のごとくにといはんが如し。鶯とのゝおなじ。
(千秋云。なきわびんの訳に。泣テ居ルデアラウガとあるは。わびといふ詞の訳たらざるがごとくなれども。是は上にツライコトヤト思フテとあり。是にあたれり。此たぐひなほおほし心をつくべし。)

打聴
  人の心の花と共に散なばたゞ我のみ世をうき物と泣わびてやあらんと也世をうきといふをうぐひすにかけてなくとはいへり

799   
  思ふとも  かれなむ人を  いかがせむ  あかず散りぬる  花とこそ見め
遠鏡
  イカホド残念ニ思フタト云テモ  心ガカハツテ  トホノイテユク人ヲバナントセウゾ  ドウモセウコトガナイ  スレヤマダ見タラヌウチニ早ウ散タ花ヂヤトサ  思フテ居ヤウマデ

800   
  今はとて  君がかれなば  我が宿の  花をばひとり  見てやしのばむ
遠鏡
  モウコレギリト思ウテ  君ガトホノイテ来ヌヤウニナツタナラ  コチ庭ノ花ヲバ  ワレヒトリガ見テ  君ノコトヲイロ/\ト思ヒダスデアラウカ

801   
  忘れ草  枯れもやすると  つれもなき  人の心に  霜は置かなむ
遠鏡
  人ノワレヲ忘レタ  ワスレ草モ枯テ  モシ又モトノヤウニ思フテクレルコトモアラウカト思ヘバ  ワシヲワスレタツレナイ人ノ心ヘ霜ガオケバヨイニト思ハレル 霜デハソウタイ草ガ枯レルモノナレバ  ソノワシヲワスレタ忘草ノカレルヤウニサ

802   
  忘れ草  何をか種と  思ひしは  つれなき人の  心なりけり
遠鏡
  ワスレ草ト云フ物ハ  何ヲタネニシテ  ハエルコトカト思フタガ  ソノタネハ  ツレナイ人ノ心ヂヤワイノ ハテツレナイ心カラシテ人ヲバ忘レルモノヂヤワサ

803   
  秋の田の  いねてふことも  かけなくに  何を憂しとか  人のかるらむ
遠鏡
  ワシガキラウテ  モウイネト云詞ヲカケタコトモナイニ  人ノ此ヤウニ遠ノイテ来ヌハ  何ヲウイト思フテノコトヤラ
かけ。かる。皆稲の縁の詞なり

804   
  初雁の  鳴きこそ渡れ  世の中の  人の心の  秋し憂ければ
遠鏡
  人ノ心ノ秋ガウイユヱニ  ワシハ空ヲワタル初雁ノヤウニ泣テサ  タテルワイ

805   
  あはれとも  憂しとも物を  思ふ時  などか涙の  いとなかるらむ
遠鏡
  物ヲアハレト思フトキモ  ウイト思フトキモ  トカク涙ガホロ/\ホロ/\ホロ/\ホロ/\トコボレル  ナゼニ此ヤウニ涙ガイソガシウ  コボレルコトヤラ
余材打聞ともに。くだ/\しき注なり

余材
  人をあはれと思ふ上に又うしと思ひて一かたならすものを思ふときは心の念々にいとまなきをいかなる隙より涙のもりきてそれもまたいとまなく落らんとあやしみ思ふ心也いとなかるらんとはいとまなかるらんのまの字を略せり...

打聴
  憂時はいたくなげく事なればいたく物思ふ事をいはんとて哀と憂とをかさねていへりさてうき事をいたく思ひなげく心のいとまなきにいかなるひまより涙のもり来てそれも又いとまなく流るらんとあやしむ也いとなきはいとまなきなるをいとながるゝと云にかけていへり

806   
  身を憂しと  思ふに消えぬ  ものなれば  かくてもへぬる  世にこそありけれ
遠鏡
  キツウ身ヲウイト思フニハ命モ消エサウニ思ハレルケレドモ  ソレデモサスガニキエハセヌモノヂヤ  スレバ此ノヤウニウイ身デモ  ヤツハリソレナリニタツテユク世デゴザルワイノ

807   
  海人の刈る  藻にすむ虫の  我からと  ねをこそなかめ  世をばうらみじ
遠鏡
  海士ノ刈ル藻ノ中ニワレカラト云虫ガ住デ居ルモノヂヤト云コトヂヤガ  ソノ虫ノ名ノトホリニ何事モワレカラヂヤ  我身カラノコトヂヤトレウケンシテコソ  泣クナラ泣キモセウコトナレ  ツレソウ人ヲバ恨ミマイゾ  ヨウ思ヒマワシテ見レバ  人ヲウラミルノハ大キナフカクヂヤ
(千秋云。われからの事。己れつら/\思ふに。もしは虫の名にあらで。たゞ藻にすむ虫のごとく。はかなく数にもあらぬ我身から。といへるにはあらじか。又海人といひて。我からといへる詞は。仁徳紀に。あまなれやおのがものからねなく。とあるをも思ひて。よまれたるにやあらん。)

808   
  あひ見ぬも  憂きも我が身の  唐衣  思ひ知らずも  とくる紐かな
遠鏡
  逢タイ人ニアハレヌノモ  其ノ人ノツライノモ  ミンナ我身カラノコトヂヤ  スレヤ  ドレホド思フタトテ  アハレルコトデハナイニ  此ノヤウニ下紐ノトケルハ  サテモ/\マア  ガテンノワルイ下紐カナ
下ひものとくるは。人にあふべきしるしなり。

809   
  つれなきを  今は恋ひじと  思へども  心弱くも  落つる涙か
遠鏡
  ツレナイ人ヲ  モウ恋シウ思フマヒゾト  タシナムケレドモ  ナントゾスルト思ヒダシテ  涙ガコボレル  サテモ/\マア心ヨワイコトカナ

810   
  人知れず  絶えなましかば  わびつつも  なき名ぞとだに  言はましものを
遠鏡
  シヾウ世間ヘシレズニ絶タ中デアラウナラ  絶ルハツライコトナガラモ無イコトヂヤト云テ  セメテハウキ名ノタヽヌヤウニナリトモセウモノヲ  ワシガ中ハ  ハヤ世間ノ人モ知テ居レバ  無イコトヂヤトモイハレネバ絶タバカリカ  ウキ名サヘ立ツテ  サテモ/\メイワクナツライコトカナ
(千秋云。すべてましものをとゝめる歌は。此訳のごとく。多く意をふくめたるもの也。心をつくべし。)

811   
  それをだに  思ふこととて  我が宿を  見きとな言ひそ  人の聞かくに
遠鏡
  人ヲ深ウ思フトキニハ  其ノ人ノ家ナリトトモ見タイヤウニ思フモノヂヤガ  サウツネ/゛\思フテ居ルコトトテ  ヒヨツトシタ詞ノハシニモ  ワシガ所見タト云コトモ  人ノ聞クトコロデ必ズ云デハナイゾヤ  エテハソンナコトカラシレルモノヂヤ
この歌は。こゝに入るべき歌にあらず。しかるを余材は。部立になづみて。歌の意にたがへり。この集ならんからに。まれ/\は。などか部立のあやまりもなからん。

余材
  大和物かたりには桂のみこいとみそかにあふましき人にあひたまひたりけるをとこのもとによみておこせ給へりけるとて此歌有今の部立の心にあらすこれはたえての今それはかりの事も有しよりおもひなれたる事とて人のきく所に我宿をみつるとないひそ人のうたかひおもふへきにと也中々にしられすしらぬむかしに返りて絶たる時の歌也或抄に初二句を注してそれかくすをだにも我もおもふ事とてあるへきなりといへるはかなはすきかくにはきくになり寒きをさむけくうきをうけくといふに同し...

812   
  あふことの  もはら絶えぬる  時にこそ  人の恋しき  ことも知りけれ
遠鏡
  自由ニアハレル時ニハ  恋シイト云ハドノヤウナモノヤラシラナンダニ  今カラスキト絶テアハレヌ時節ニナツテハジメテ人ノ恋シイコトモ知ツタワイ
>> 歌の「もはら」を「スキト」の部分に当てている。「スキト」の意味不明。

813   
  わびはつる  時さへものの  かなしきは  いづこをしのぶ  涙なるらむ
遠鏡
  此ノヤウニ恋ニアグミハテタ時節ニサヘ  ソノ人ヲヤツハリイトシイ恋シイト思ウテ涙ノコボレルハ  ドコガ恋シウテノコトヤラ  此ノヤウニウイツライメニアハスル人ナレバ  イトシイコトモナイハズヂヤニ
此かなしきは。いとほしく思ふ意也。さて三の句と。しのぶ涙といへる詞とを。たがひに相まじへて心得べし。打聞に。忍びになみだのおつらんとあるは。たがへり。

打聴
  人の絶てわびはつる時さへ猶とにかく我は忘れやらず物の悲しく思はるゝは何をなごりとてか忍ひに涙はおつらんと也...

814   
  うらみても  泣きても言はむ  方ぞなき  鏡に見ゆる  影ならずして
遠鏡
  ウランデモ泣テモ  此カナシサヲバ誰ヲ相手ニシテ  イハウゾ  思フハモハヤ絶テ一向ニアウコトモナケレバ  鏡ヘウツルオレガ影デナウテハ外ニ相手ニシテ云ウヤウハナイ

815   
  夕されば  人なき床を  うちはらひ  なげかむためと  なれる我が身か
遠鏡
  ユウガタニナレバ  君ガキテ寝モセヌ床ヲハラウテ  独リネルトテハ  イツノ夜デモ/\  ツライコトヤト思フテ  タメイキヲツイテ寝ルヂヤガ  ワシハマア此ヤウニツライ嘆キヲセウタメニ  生レテキタ身カヤ  サテモ/\イングワナ身カナ

816   
  わたつみの  我が身こす浪  立ち返り  海人の住むてふ  うらみつるかな
遠鏡
  サツハリ絶テシマウタ中ヂヤノニ  ソノ人ノ心ノカハツタコトヲ  又ヒツカヘシテ  此ヤウニ恨メシウ思フコトワイノ  今サラ恨ンダトテ  ナンノセンガアラウゾ  サテモグチナワシガ心カナ

817   
  あらを田を  あらすきかへし  かへしても  人の心を  見てこそやまめ
遠鏡
  アラ田ヲ何ンベンモ/\スキカヘスヤウニ  マア何ンベンモ人ノ心ヲトツクリトヨウカンガヘテ見テコソ  モウラチガアカヌト云コトハ  定メウコトナレ

818   
  ありそ海の  浜の真砂と  たのめしは  忘るることの  数にぞありける
遠鏡
  浜ノ真砂ノ数ハヨミツクスト云テモ  我恋ハヨンデモ/\ツキマイナドヽギヤウサンニ云ツテ  ワシヲヨロコバシテオイテ  ソノ浜ノマサゴノ数ハ  ミヅクサイコトノケシカラヌタトヘデサ  アツタワイ

819   
  葦辺より  雲ゐをさして  行く雁の  いや遠ざかる  我が身かなしも
遠鏡
  芦原カラ空ヲサシテヅヽトトンデユク雁ノダン/\ト遠ウナルヤウニ  ダン/\ト思フ人ノトホノイテユクワシガ身ハマア  カナシイコトヂヤ

820   
  時雨つつ  もみづるよりも  言の葉の  心の秋に  あふぞわびしき
遠鏡
  時雨ガフリ/\シテ木ノ葉ノ色ノカハツテユク秋ノコロハツライモノヂヤガ  ソレヨリハ  云テオイタ詞ノカハル  人ノ心ノ秋ニアウ身ガサ  ナホツライ

821   
  秋風の  吹きと吹きぬる  武蔵野は  なべて草葉の  色かはりけり
遠鏡
  秋風ガフキサヘスレバ  アノ広イ武蔵野デモ  野ハサツハリミナ草ノ色ガカハツテ枯ルワイ  人ノ心モソノトホリサ
余材くだ/\し

余材
  秋風は人のあくにそへたり武蔵野とは紫のひともとゆへの心にてなへて草葉の色かはるとは草はみなからあはれといひしゆかりの人さへつらき人の我をあきぬる時はみな心かはりぬとそへていふなるへし

822   
  秋風に  あふたのみこそ  かなしけれ  我が身むなしく  なりぬと思へば
遠鏡
  秋ノ大風ニアフ稲ハサ  キノドクナモノヂヤ  百姓ノ頼ミニシテ居ル田ガサツハリシマヒニナル  ワシガ中モテウドソンナモノデ  人ノ秋風ガフイテ  頼ミニ思フタコトガ  皆ムダニナツタト思ヘバサ  カナシイワイノ
たのみは。田の実によせたり。さて四の句。わが身むなしくと。つゞけては心得べからず。我身は秋風にあふといふへかゝり。むなしくはたのみへかゝれり。

823   
  秋風の  吹き裏返す  くずの葉の  うらみてもなほ  うらめしきかな
遠鏡
  ウラミヲ云テモ/\  マダヤツハリ恨ガハレヌ  サテモ/\ウラメシイコトカナ

824   
  秋と言へば  よそにぞ聞きし  あだ人の  我をふるせる  名にこそありけれ
遠鏡
  秋ト云コトヲバヨソノコトノヤウニサ思フテ居タガ  ヨソノコトデハナイ  ウツリギナ人ノワシヲ見捨タノガ  ワシヲアキト云モノデ  ソノ名デサゴザルワイノ

825   
  忘らるる  身を宇治橋の  なか絶えて  人もかよはぬ  年ぞへにける
遠鏡
  テウド橋ノ中ガキレテアレバ渡ル人モナイヤウニ  思フ人ニ忘レラレタ身ハウイモノデ  何ン年カモウネカラ  使モコヌワイ
(千秋云。三四の句人もかよはずしてと見ればやすくきこゆ。)
>> 「使」に「ヒト」と振ってある。

826   
  あふことを  長柄の橋の  ながらへて  恋ひ渡る間に  年ぞへにける
遠鏡
  逢コトモナイニ  ヤツハリアヒカハラズ  恋シタウテ月日ヲオクルウチニサ  ハヤ何ン年カタツタワイ
(又ハ  アヒタイ/\ト思フテ恋シタウテ月日ヲオクルウチニサ)

(千秋云。後の訳の意なれば。あふことを恋わたるとつゞきて。あふことなくといひかけたるにはあらず。もじによれば。さやうにも聞ゆ。しかれども。逢ことなしといひかけたるやうにも聞ゆる也。)

827   
  浮きながら  けぬる泡とも  なりななむ  流れてとだに  たのまれぬ身は
遠鏡
  セメテハ又末デナリトモト思フ頼ミサヘナイワシガヤウナウイ身ハ  イツソノコト水ニウキナガラ  消ル沫ノヤウニ  キエテシマイナリトモスレバヨイ
(千秋云。うきながらは。憂きまゝにての意にかねたるなるべし。)

828   
  流れては  妹背の山の  なかに落つる  吉野の川の  よしや世の中
遠鏡
  紀ノ国ノ妹山トセ山トノ間ダサヘ  吉野川ガ流レテ来テ  中ノヘダテガアルカラハ  ソウタイ人間ノ男女ノ中モ  イツマデモ始メノヤウニムツマシウハナイハズノコトデ  久シウナレバオノヅカラカレコレガ出来テクルノモ  ソノハズノコトヂヤ  ハテゼヒガナイ山デサヘサウヂヤモノ
世の中は。男女の中をいへるなり。すべて男女のなからひを世ともいへること多し心得おくべし

( 2004/01/23 )   
 
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