Top  > 古今和歌集の部屋  > 本居宣長「遠鏡」篇  > 巻二十 大歌所御歌・神遊びのうた・東歌

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1069   
  新しき  年のはじめに  かくしこそ  千歳をかねて  楽しきをつめ
遠鏡
  行末千年マデモ  毎年トシノ始メニハ  此ノ通リニサ  タノシイコトヲ存分ニシツクサウワイ
をへめは。終[をへ]めにて極むる也。つめの時は。千年までもといはひて。かくの如くたのしきつみ木をつむといへるなり。

1070   
  しもとゆふ  かづらき山に  降る雪の  間なく時なく  思ほゆるかな
遠鏡
  葛城山ハ  冬ハ雪ノフラヌ間ト云フハナイガ  ソノ葛城山ノ雪ノ通リデ  ワシハイツト云フコトモナシニ  ジヤウヂウ君ノコトガ思ハレテ  サテモ忘レルヒマノナイコトカナ

1071   
  近江より  朝立ちくれば  うねの野に  たづぞ鳴くなる  明けぬこの夜は
遠鏡
  近江カラ今朝夜ノ内ニタツテクレバ  ウネノ野ニアレ鶴ガサ  ナクワサア夜ハモウアケルゾ

1072   
  水くきの  岡のやかたに  妹とあれと  寝ての朝けの  霜の降りはも
遠鏡
  山城ノ国ノ此ノ岡屋県デ  妹トオレト寝テ夜ノアケタ  今朝ノアノ霜ノフリヤウワイノマア  アノ霜ヲ見レバ  昨夜ハキツウヒエタサウナ  コチハ二人ネタデ  ソレホドヒエル夜ヂヤトモ思ハナンダニマア
水くきは。すべて岡の枕詞也。別に考へあり。また古に家を屋形といへることさらになし。打聞わろし。もしかの説のごとくは。四の句ねてし朝げなどあらではかなはぬことなり。
(千秋云。みづくきの考へ。玉かつまにくはしく見ゆ。)
>> 「岡屋県」には「ヲカノヤガタ」と振ってある。

打聴
  ...やかたとはきとしたる殿舎にはあらでよろしきを真似て造れるを云成べしこゝも古歌なれば太宰府の殿舎にはあらで水茎の岡によろしき家の有てそこにて妹に逢しをしか云と見えたり妹とあれは我也我をあれと云は古言也あさけは朝明の略也

1073   
  しはつ山  うちいでて見れば  笠ゆひの  島こぎ隠る  棚なし小舟
遠鏡
  シハツ山カラズツト出テ見レバコイデ帰ル小舟ガアレ  笠ユヒノ島ノアタリヲユクワ

1074   
  神がきの  みむろの山の  さかき葉は  神のみまへに  しげりあひにけり
遠鏡
>> 訳なし。

1075   
  霜やたび  置けど枯れせぬ  さかき葉の  たち栄ゆべき  神のきねかも
遠鏡
  きねは。木根にて。すなはち榊のいへるなり。木を木根といふは万葉に。草を草根とよめる歌多く。また岩を岩根。屋を屋根。矛を矛根などいふ例にて。根は添たる言也。されば神のきねは。神の木なり。しかるを拾遺集貫之歌に。あし引の山の榊葉ときはなる陰に栄ゆる神のきねかとよめるは。既にこゝの歌を。巫現のことと心得あやまりて。よめりとぞおぼゆる。
>> 訳なし。

1076   
  まきもくの  あなしの山の  山びとと  人も見るがに  山かづらせよ
遠鏡
  打聞に。見るがにを見てしがなにとあるはわろし。がにの。他の例にたがへり。
>> 訳なし。

打聴
  今の本には見るかにと有顕昭の本六帖等に見るがねと有をよしとすさて歌は穴師山の神祭に其山人と人も見てしがなに山かづらせよといふ也...

1077   
  み山には  あられ降るらし  と山なる  まさきのかづら  色づきにけり
遠鏡
>> 訳なし。

1078   
  陸奥の  安達の真弓  我が引かば  末さへよりこ  しのびしのびに
遠鏡
>> 訳なし。

1079   
  我が門の  いたゐの清水  里遠み  人しくまねば  み草おひにけり
遠鏡
>> 訳なし。

1080   
  ささのくま  ひのくま川に  駒とめて  しばし水かへ  かげをだに見む
遠鏡
>> 訳なし。

1081   
  青柳を  片糸によりて  うぐひすの  ぬふてふ笠は  梅の花笠
遠鏡
>> 訳なし。

1082   
  まがねふく  吉備の中山  帯にせる  細谷川の  音のさやけさ
遠鏡
  (千秋云。おほんべは。大嘗[おほにへ]のを。音便にといひを濁るは。上をといへば也。)
>> この千秋注は歌の左注にある「承和の御べ」について言ったもの。

1083   
  みまさかや  久米のさら山  さらさらに  我が名は立てじ  万代までに
遠鏡
>> 訳なし。

1084   
  美濃の国  せきの藤川  絶えずして  君につかへむ  万代までに
遠鏡
>> 訳なし。

1085   
  君が代は  かぎりもあらじ  長浜の  真砂の数は  読みつくすとも
遠鏡
>> 訳なし。

1086   
  近江のや  鏡の山を  立てたれば  かねてぞ見ゆる  君が千歳は
遠鏡
>> 訳なし。

1087   
  阿武隈に  霧立ちくもり  明けぬとも  君をばやらじ  待てばすべなし
遠鏡
  アノアフクマ川ヘ霧ガズウト立テ夜ガアケタリトモ  君ヲバヤルマイゾ  イナセテ又見エルマデ待ツアヒダガドウモナラヌ
初ニ句はたゞ夜のあくるけしきのみなり。打聞。詞にかなはず。もしかの注の意ならば。わたりはわたれといはでは聞えず。余材に。あふくまを。人に逢ふによせてといへるもわろし。
>> 底本では歌の「霧立ちくもり」の部分が「霧たちわたり」となっている。

余材
  ...顕注にあふくまは河也それを人にあふによせて朝霧立て明ぬとも君をはやらし待かすへなくわひしきにとよめり土民はあふくまとて大わたりとそ申なる...

打聴
  こは霧立て明ぬる夜もわかずあれかしさては夜のあけぬとも君がえゆかでとゞまらんすべなくて待し日来[ヒゴロ]を思へばいかでとゞめばやとおもふ心よりよめる也それをたゞ霧立わたりとのみいひたるはいにしへのいひなしにておもしろし...

1088   
  陸奥は  いづくはあれど  塩釜の  浦こぐ舟の  綱手かなしも
遠鏡
  奥州ニハドコニモカシコニモ面白イ所ハ多クアレドモ  中デモ此ノシホ竈ノ浦ヲアレ綱手デ船ヲ引テユクアノケシキガドウモイヘタモノデハナイ  オモシロイコトヂヤワマア

1089   
  我が背子を  みやこにやりて  塩釜の  まがきの島の  松ぞ恋しき
遠鏡
  コチノ人ヲ京ヘヤツテ  留守ヂウ  イツモドラルヽコトヤラト  待テ居レバサテモ恋シイ

1090   
  をぐろさき  みつの小島の  人ならば  みやこのつとに  いざと言はましを
遠鏡
  アノ黒崎ノミツノ小島ガ人ナラバ京ヘノミヤゲニイザ来イト云フテツレテイナウモノヲ
を黒崎のは。をはつせなどのにて。黒崎と云地の名也。

1091   
  みさぶらひ  みかさと申せ  宮城野の  この下露は  雨にまされり
遠鏡
  御侍衆ソレ御笠ト申シ上ゲサツシヤレ  此ノ宮城野ノ木カラオチル露ハケシカラヌモノデ  雨ヨリモキツウ  ヌレマスゾ

1092   
  最上川  のぼればくだる  稲舟の  いなにはあらず  この月ばかり
遠鏡
  イヤデハナイガ  コノ月中ハドウモナラヌ
のぼればくだるは。のぼるもあれば。くだるもあるをいふ。

1093   
  君をおきて  あだし心を  我がもたば  末の松山  浪も越えなむ
遠鏡
  ドウ云コトガアツタト云テモ  オマヘヲオイテ  ワシハ外ヘ心ヲウツスコトデハナイ  モシソンナ心ヲワシガ持ツタラ  アノ末ノ松山ノウヘヲ  浪ガコエルデアラウ  ソンナコトハナイコトヂヤハサテ
末の松山といへるは。すゑといふところの。松山なるべし。

1094   
  こよろぎの  磯たちならし  磯菜つむ  めざしぬらすな  沖にをれ浪
遠鏡
  小ヨロギノ磯ヘ出テ居テ  磯菜ヲツムアノ子供ガ  アレ/\浪ニヌレル  浪ヨコレヤ  ソノヤウニアノ子供ヲヌラスナ  沖ノ方ヘ折レヨ
(又ハ  立テコズニ沖ノ方ニ居レ)

をれは。を(折)れよにてもあるべし。又浪のたちゐなどもいへば。居れにてもあるべし。

1095   
  つくばねの  このもかのもに  かげはあれど  君が御影に  ますかげはなし
遠鏡
  筑波山ノアチラウラニモ  コチラウラニモ  木ノカゲハオビタヾシウシゲウアレドモ  君ノ御蔭ニマサツタカゲハナイ

1096   
  つくばねの  峰のもみぢ葉  落ちつもり  知るも知らぬも  なべてかなしも
遠鏡
  此ノツクバ山ノ紅葉ノチツテ  ツモツタヲ見レバ  惜ウ大事ニ思ハルヽガ  テウド  此ノ紅葉ヲ思フトホリニ  此ノ常陸ノ国ノ内ノ百姓ハ  ドレカレト云フヘダテナシニコト/゛\ク  フビンニ大切ニ思ハルヽコトヨマア
上の句は。結句のかなしもといふへかゝれる。たとへなり。さてしるもしらぬもなべてといふ詞は。上の句の落葉のたとへの方へはあづからず。この所よくせずはまぎれぬべし。さて此の歌何人のいかなることをよめるにか。さだかならざれば。結句の訳もそのさすことによりて。かはるべきを。今はしばらく。国の司の部内の民をあはれびたることにとりて訳しつ。さるは京人の歌にてもその国に伝はるぬるは。その国の歌とせること。萬葉の東歌の中にも見えたり。余材わろし。又打聞に女の男を思へることにとかゝれたるは。いかゞ。もしその意ならば。四の句。これもかれもなどはいひもすべけれど。しるもしらぬもなべてとは。あまりひろくしてひたゝけたり。

余材
  このもかのもより落つもるもみちはその木此枝よりとしらねとみなあはれと見るを知もしらぬもなへてかなしもといへるなりさきのつなてかなしもの悲しに同しこれもおほやけのあまねきおほんめくみの所をえらひ人をわきたまはぬにたとふるこゝろなり

打聴
  是は古歌なればいにしへを心得では説がたかるべしつくばねの嶺のとかさねて云ひさて彼山は木しげゝれば木葉の落てなべて散しきたるに譬へてなべてかなしもと云也此歌女の多くの人に恋らるゝ時見しれる人は本よりしらぬもあはれと思ふよし有てしるしらぬのわきなくうつくしまるゝとよめる成べしそれを此山の木葉の此面彼面になべて散つもりたるにたとへて上はいへりかくては頑[カタク]なる人は心おほき女と思ふべし世の中の事は人にいはでさま/\思ふ事有物也後の世の人心はそれをえらびて云へき人に物をいへどいにしへの人は心実にしてありのまゝをいへり今の人はことばと心と皆たがひてまことなし此わかちをよくしらずば古歌はよく説得る事かたしかなしは上にも云ごとく心に思ひしめる事を云こゝにてめでたしともあはれともおもふをかなしと云也

1097   
  甲斐がねを  さやにも見しか  けけれなく  横ほりふせる  小夜の中山
遠鏡
  甲斐ガ嶺ヲハツキリト見タイモノヂヤ  アノサヤノ中山ガ  ヨコタワツテアルデ  ツカヘテ  ハツキリト見エヌ  アノ心ナイサヤノ中山ヂヤ
(千秋云。四の句のふせるを。顕注に。一本にくせる。又一本にこせるともあるよしいへり。東歌にて。心をもけゝれといへば。その同じさまの国詞(くにことば)なるへければ。右の二つの内ぞ正しかるべき。但し古言にふすをこやるといへれば。くせるこせるともに。もじは。をうつしあやまれるにはあらぬか。)

1098   
  甲斐がねを  ねこし山こし  吹く風を  人にもがもや  ことづてやらむ
遠鏡
  峯ヲコシ山ヲコシテ  甲斐ガ根ヲ吹テコエル風ヲドウゾ人ニシタイモノヂヤ  ナアソシタラ京ヘコトツケテシテヤラウニ
この歌も。京より下り居る国の司などのよめるなるべし。顕注にしたがふべし。上なるみちのく歌に。みやこのつとに云々とあるも。京人のとこそ聞えたれ。余材の説は。かひがねをといへる。もじにかなはず。又遠江も上なる歌によりていへるなれ。此歌にはよしなし。

余材
  これはかひかねのかたをさして遠江の方より峯をこえ山をこえて吹行風の人にもかな我おもひをことつてやらんものをといへるなり  顕注に都へことつてやらんと注せられたるは心たかへり都の人のかひに有て都を恋ひてよめる歌ならは甲斐歌とはいはし

1099   
  をふのうらに  片枝さしおほひ  なる梨の  なりもならずも  寝てかたらはむ
遠鏡
  ナルナラザルハトモカクモ  マアナンデアラウト  イツシヨニ寝テハナシヲセウ
なるとは。父母などもゆるして。顕はれて夫婦となることの。成就するをいふ。

1100   
  ちはやぶる  賀茂のやしろの  姫小松  よろづ世ふとも  色はかはらじ
遠鏡
>> 訳なし。

( 2004/02/22 )   
 
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